『婆さんのゴクッ!』って、いったいな〜に?(蛮社の獄)

レポート作成・・・渡辺活火山さん

今回は『婆さんのゴクッ!』
に関係していた人たちをお呼びしました。
皆さんはお婆さんが飲み物を飲むときのことを
研究されたんですね。
りょうこ
おいおい、何言ってんの?
『婆さんのゴクッ!』じゃないよ、
『蛮社の獄』って言うの、『ばんしゃのごく』!!
そりゃ俺は医者だけど、
何で婆さんの飲み方を研究しなきゃなんないの。
人を呼び出す前にはきっちり予習しとけよ。
高野長英
え〜ん、
だって『バーシャンノゴク』って言うから、
てっきり老人問題を取り上げた人たちかなー、
って思ってしまったんです〜。
りょうこ
まーまー長英さん、そんなに目くじら立てないで。
お嬢さん『蛮社』 って言うのはね、
蘭学を学んで
それを政治や経済に利用出来ないかなー、
って研究していた『尚歯会』と言う研究会に、
国学派が付けたあだ名なんですよ。
江戸時代はね、漢学や朱子学以外の学問、
特に海外から伝えられる蘭学を、
野蛮な学問として差別していた
んですよ。
そのような学問を『蛮学』と言ったりしてたんです。
で、私たち尚歯会を
『蛮学を学んでいる野蛮人が集まっている会(社)』
と言うことで蛮社と呼ばれたのです。
渡辺崋山
え〜〜っ、蘭学が蛮学なんですか?
でも蘭学って言えば
解体新書』など で江戸時代の医学を進歩させた、
って聞いていますけど・・・。
りょうこ
おっ!、解体新書を知ってるのかい。
確かにあの書は革命的だったな。
だがな、同時に反発も大きかった書物だったんだぜ。
漢方医学者たちはよ、
『人の体を切ったりはったりする医術は外道だ、野蛮だ』
って言いやがって、自分たちを医学の本道と言い、
俺たちのことを医学の外側つまり外道
って決め付けやがった。
高野長英
お嬢さんの時代でも
お医者様に『内科』『外科』と分けられてますね。
あれはね、このときの名残
薬などで病気を治すのを『内科』、
手術を使うものを『外科』と言うことなんですよ。
渡辺崋山
へー、知りませんでした。
内科外科って言ってもみんなお医者様なのにねー。
りょうこ
本当に漢学者ってのは始末が悪いぜ。
『蘭学は異人の学問。
日本古来の漢学こそが日の本の学問。』
なんて言いやがって、ふんぞり返ってやがる。
元を正せば
漢学だって中国から伝えられた学問じゃないか。
そんなこともすっかり忘れて
先進的な蘭学を仇扱いしやがって
まったく馬鹿な奴らだぜ。
高野長英
『蛮社』は分かりました。
じゃー『獄』は?
りょうこ
私たち尚歯会の仲間には
幕府のお役人もおられましてね、
その人を通して幕府に色々
海外情勢などを上申していたんですよ。
最初は無視されていたんですが、
海岸沿いに続々異国船が来るようになると
無視し続けることが出来なくなったんですよ。
それで沿岸調査をすることになったんですが、
これがややこしくなってしまった。
渡辺崋山
何がややこしくなったんですか?
りょうこ
俺たちが組織した調査隊とは別に、
目付が組織した調査隊が動くことになっちまったんだ。
この目付ってえのがくせ者さ。
なにしろあの妖怪『鳥居耀蔵』だからな。
高野長英
このときの調査結果で、
私たちの調査隊の報告書の出来が
目付隊の報告を上回ったんですね。
それを根に持った目付が
有ること無いことほじくり出して、
尚歯会を潰しにかかったんです。
これが『蛮社の獄』です。
渡辺崋山
突然、つい立ての後ろから・・・
誰が妖怪だって
なにが『有ること無いこと』だって。
鳥居耀蔵
わ、わ、わ、
何でこいつがここに居るんだよー。
高野長英
わしは神出鬼没じゃ!!
おまえたち蛮学かぶれの輩がはびこるものだから
幕府が倒れたのではないか。
鳥居耀蔵
何言ってるだますか。
海外事情をまったく無視していた
無能な幕閣のせいじゃないか。
高野長英
だまれ!うつけ者!
異国のことなど長崎に任せておけば良かったのだ。
幕府はこのようなことに関わらず
堂々と構えておれば良かったものを、
おまえたちのような輩の意見を
ほんの少しでも聞いてしまったのが悪いのじゃ!
鳥居耀蔵
諸外国は
長崎だけでは満足していなかったではありませんか。
渡辺崋山
異人船の接近など
諸藩大名に任せておれば良かったのじゃ!!
鳥居耀蔵
それじゃ日本は
諸外国の植民地にされてしまうじゃないか。
海外の力も知ろうとしない馬鹿者たちが
幕閣たちじゃないか!!
水野忠邦の改革だってテンで的外れだし。
高野長英
なに!!
天下のご政道を批判するとは何事じゃー!!
そんなお主たちだから縄を掛けたのだ、
分かったか!!
鳥居耀蔵
わ、わ、わ、ちょっと待って下さいよー。
そんなに喧嘩腰じゃ
インタビューが続かないじゃないですかー。
あや先生、何とかして下さいよー。
りょうこ
ま、ま、ま、鳥居さん、
色々お有りかとは思いますが、
今日のところはこの辺で・・・。
ひのもと
あや
あや先生と共にシブシブ退席する鳥居耀蔵。(((((((((;););)
いやー、一時はどうなるかと思いました。
インタビューを続けさせていただきます。
その後、お二人はどうなったんですか?
りょうこ
私は田原藩の自宅で蟄居となりました。
その後、私の絵の弟子が
江戸で私の絵の展示会をしたのが
藩の旧体派の怒りを買ってしまい、
それを悔やんで自害いたしました
渡辺崋山
俺は尚歯会で世話になっていた小関三英さんが
取り手を恐れて自害したものだから、
その仇討ちのつもりで番所に自首したのさ。
そうすれば、お白州で堂々と主張できるからな。
高野長英
わ〜〜、
とても悲惨ですね。
りょうこ
『蛮社の獄』が
どういう事件かだいたい分かったかい?
高野長英
はい!、ありがとうございました。
でも、もう一つだけ。
どうして『尚歯会』って名前を付けたんですか?
今までの話では、
歯は関係ないみたいですけど。
りょうこ
そりゃお嬢さん、
まさか『西洋文化研究会』
なんて付けられないでしょ。
ですから、『歯を大事にしましょう。』って
老人会みたいな名前を付けたのですよ。
渡辺崋山
なーんだ。
やっぱり老人問題を扱っていたんだ!!
りょうこ
だーめだ、こりゃ。




高野長英
渡辺崋山

ひのもとあや先生の一口寸評

尚歯会というのは、
当時の日本において奇跡的な集団だったんですね。
もしこの集団が日本を動かしていたら、
その後の日本はどうなっていたでしょうか。
歴史に「もし」は禁物ですが、「もし」そうなっていたら、
きっと現代まで続いてる「西洋コンプレックス」はなかったでしょう。
それに今の日本はもっと「国際的」になっていたにちがいありません。
かえすがえすもこの集団が蛮社の獄で消滅してしまったのは、
「惜しかった」としかいいようがありません。

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