徳川幕府最後のあがき〜戊辰戦争その2〜

はい!!休憩終わりっ、
インタビュー再開します。
りょうこ
「一休み」とは、
2分36秒81の事だったであります。
大村益次郎
余計な事言わなくて言いの。
え〜と「戊辰戦争その1」をまとめると、下のようになるわね。
辞官納地→慶喜キレる→鳥羽伏見の戦い(こっから戊辰戦争)
→幕府負け→江戸城無血開城→上野戦争→幕府負け・・・・・・
りょうこ
続けると、上野戦争→幕府負け→北越・会津戦争→幕府負け→
箱館戦争→幕府負け(戊辰戦争終わる)・・・・・・となるであります。
大村益次郎
こう見ると、鳥羽伏見(京都)→上野(東京)→
北越・会津(新潟・福島)→箱館(北海道)と、
戦場が北へ北へと北上してるんですね。
りょうこ
「北へ北へと北上」というのはまちごうちょります。
「北へ上がってる」あるいは「北上してる」が正しい言い方であります。
大村益次郎
うるさいッ!!!大村さんにはもう用事はないのッ!!
かえりなさいよッ!!
りょうこ
間違いを指摘したのにおこられるとは不可解であります。
帰るであります。
大村益次郎
・・・んもう!!プンプン!!
さて、上野戦争で負けて、幕府軍はどうなったんだろう?
りょうこ
おみしゃん続きが知りたいかね?
上野の山で負けて散りぢりになった幕臣は、
幕府に見方してくれる藩をたよって落ちのびたのサ。
その一つが我が長岡藩ですロウ。
河井継之助
あなたは?
りょうこ
長岡藩家老、河井継之助。
「北越戦争」とは、我が長岡藩と官軍が戦ったことを指してるんだがね。
河井継之助
・・・・・・で、河井さんは負けたんですね。
りょうこ
結論を先に言っちまうと、そういう事だ。
もともと我が長岡藩は幕府にも官軍にもつかない
「中立」を目指してたんだがな、
官軍は認めなかったのよ。
河井継之助
この大変な時期に「どっちつかず」で行こうとしたんですか?
そりゃ無理じゃないですか?
りょうこ
うん。無理だった。
我らもガトリング砲を使ったりして善戦したけど、
負けて会津に逃げる途中でわしも死んでしまった。
という事で、次は会津戦争だのう。
拙者の短い出番はここまで。次はホイ、松平容保殿。
河井継之助
会津戦争は、まさに「勝てば官軍」の戦いだった。
私たち会津藩は、数年前まで京都でテロリストの取り締まりをしていた、
いわば「警察官」だったのに、知らないうちに「犯罪者扱い」だ。
私たちが何の悪い事をしたというのだ!!
松平容保
あ、そういえば「新選組」の時にききました。
犯罪者はむしろ薩長、つまり官軍の人達だったんですよね?
りょうこ
よく覚えてたな、娘っ子。
オラぁ犯罪者の薩長に負けるのはどうしても納得いかねえ。
だからこうやって会津まで来て戦ってんのよ。
「鳥羽伏見の戦い」にも参加してたんだぜ。
土方歳三
ああ、土方さん、お久しぶり。
相変わらず元気いっぱいですね。
りょうこ
バカヤロウ。
負けいくさばっかりなのに元気あるわけなかろうが(笑)。
土方歳三
私たち会津藩の先祖である保科正之様は、
「オラの子孫は徳川家の見方サすろ。
これを守んねえヤツはオラの子孫じゃねえぞー」と言って死んだんです。
我々はこれを守って、徳川家のために最後まで戦うと決心しました。
年寄りや女(娘子軍)、子供(白虎隊)までひっぱり出して戦ったんですが、
結局負けてしまいました。
松平容保
会津が負けたんでオラぁ次は箱館まで行って戦ったのよ。
土方歳三
・・・・・・で、箱館戦争で戊辰戦争が終わるわけですね。
りょうこ
ああ、オラぁこの箱館戦争は最初から負けると思ってたんだ。
だってよ、総裁の榎本武揚ってヤツ。
こいつには始めから戦意なんかねえ。
戦わずにうまく切り抜ける方法ばっか考えてやがる。
土方歳三
土方さんは戦うのが目的ですもんね(笑)
りょうこ
そうよ。
オラぁ一人でも戦う、てんで、「新選組副長・土方歳三」として、
官軍に切込みに行ったのよ。
土方歳三
刀だけ持って?
りょうこ
おう。あたぼうよ。でも刀じゃ鉄砲にかなわなかった。
オラぁそこで死んだのさ。
土方歳三
なんかカッコいい死に方ですね。
ちなみに土方さんが死んだ7日後に榎本さんが官軍に降伏して
箱館戦争、戊辰戦争が終わっています
りょうこ
オラぁ武士として武士の時代に死ねてよかったと思ってる。
土方歳三
年号はもう「明治」に変わってたんですけどね。
それでは長くなってしまいましたが、これで「戊辰戦争」を終わります。
じゃね!!
りょうこ

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