愛菜(まな)

 第3話 「ターニングポイント」

またひとつ新しい何かがやってきた。愛菜の顔を見ながら僕は考えた。

これは始まりなのだろうかそれとも、終わりなのだろうか。

どちらにしても「今度」愛菜が消える時は、全ての決着がつく時なのだろう。


「いま、なにしてるの」

 初めての質問にしては少々間が抜けているなと、言ってから思った。

でも、愛菜はまっすぐ僕を見つめたまま、あっさりと答えた。

決してこちらの不手際を責める事のないやさしい声で、

そして、これからいっしょに暮らすことによって、何度も見ることになる真摯な目で。

「セラピストです」

 僕の意思と無関係に、手が動きを止めた。職業は、その人間を測る「ある程度」精密な計測機である。

愛菜はそこまで用意して「こっちの」世界に来ているのだ。

 それが全て僕のため?

「クスクス」

 綺麗だった。抗う余地のない完全な笑顔だった。

上げようとして止めたカップ をもう一度持ち上げるのに、少しだけ勇気がいった。

カップの重さはそのまま 愛菜の重さだった。楽しむには重すぎ、投げ出すには軽すぎた。

 「心配しなくても、あなたに迷惑はかかりませんから」

 理緒の時と同じだった。僕がしゃべらなくても、会話になる。

そして理緒の存在もまた、僕の生活になんの波風も立たなかった。同じなのだ。なにもかも。

 どういう意味かわからないな。

「そうですね。でも、こちらの言葉で説明することは出来そうにありません」

 愛菜は「言葉で」という所にちょっとだけ力を入れて言った。

「それは、不完全ってこと?」

「そうです。意思と言語とはとても違います」

 それは誰もが知ってて、そして誰もが解らないなぞなぞだね。

 愛菜は微笑んだ。その笑顔の裏にあるものを、このとき気づくべきだったろう。

でも、明日を見るすべを持たない人にとって、大切な事に気づくのはいつも、終わったあとなのだ。

 頭のなかで、ターニングポントという言葉を思い浮かべていた。

この姉妹が担う「仕事」は、おそらくそういう事に違いない。

 どうして僕の所なんかににと、理緒には聞いたっけ。理緒は笑って答えなかった。

なにがおかしいのかさえ、教えてくれなかった。

 愛菜もいま、笑みを浮かべている。僕は座して待つ、それだけでいいのだろうか。

「理緒はどうしてるの」 

 僕が一番聞きたいことだった。

 愛菜はそれには答えず、そのかわりに、びっくりするような事を言った。


「今日から、あなたの家に住まわせてくださいね。部屋はもちろん、以前理緒の住んでいた南側の洋室よ。クスクス」

 僕はあせった。滑稽なほどに。理緒を失った時の痛みを、決して忘れはしない。

それが、あらかじめ敷かれたレールの上にある理緒の終着駅だったとしても、

気づくこともなく乗り越してしまった僕を、僕が忘れるわけにはいかないのだ。

「私はあなたが必要な事を、必要なだけするまで、'こちら側'にいることになると思います」

 必要なこと? 必要なだけ?

 謎が多すぎた。行くべき道があっても、たどりつけない目的地。

それが迷子でなくてなんだろう。

僕は一本しかないまっすぐな道で、迷子になってしまった様だった。

第3話 完 イントロ終了


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