小野妹子さん、ズズズイっと隋へ行く


ゲストは遣隋使で有名な小野妹子さんです。
りょうこ
おうっ、よろしくな!
小野妹子
あらっ、小野妹子さんって男の人だったんですね。
りょうこ
あたりまえじゃ。
名前で判断すな、ボケ、カス、ペッペッ!!
小野妹子
なんか荒れてますね。何かあったんですか?
りょうこ
聞いてくれよ。ワシゃー隋に行って煬帝(隋で一番エラい人)に、
ボケ、アホ、カス、ペッペッ、と、さんざんに怒られたんじゃ。
小野妹子
どうしてですか?
りょうこ
聖徳太子様が書いた手紙にな、
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。
恙無きや云々」
と書いてあったもんだから、煬帝さんが怒った怒った
ワシゃ死ぬかと思ったぞい。
小野妹子
つまり簡単に訳すと、
「僕は日が登る国のエラい人。
あんたは日が沈む国のエラい人。
ということで調子はどう?うまくやってる?」
というような内容ですね。
りょうこ
そうじゃ。こんな手紙受け取ったら誰でも怒るわなー。
小野妹子
それで煬帝さんはどんな返事をよこしたんですか?
りょうこ
そりゃーお前、「バ○、カ○、チ○ド○屋、お前の母さん○○○!」
みたいな、ここでは書けないようなボロクソの返事じゃった。
でもそんなん聖徳太子様に見せるわけにいかんから、
ワシゃ「なくしました」ということにしたんじゃ。
小野妹子
聖徳太子さんはなんでそんな失礼な手紙を書いたんでしょうね?
りょうこ
ワシゃ思うに多分、
中国とはそれまで親分と子分の関係だったんじゃが(冊封体制)、
これからは対等に外交をしようと思ったんじゃなかろうかな?
小野妹子
でも時期が早かったと?
りょうこ
いや、時期は悪くなかったと思う。
なぜなら隋はその時、高句麗と戦争中じゃったし、
国内の治安ももうボロボロじゃった。
だから聖徳太子様も、
隋はもう強気に出れないとふんだんじゃと思う。
小野妹子
現に隋は妹子さんが手紙を持っていった11年後には、
ほろびてしまいましたもんね。
りょうこ
そうじゃ。でもあの手紙の内容はひどすぎる。
ワシゃおかげでさんざんな目にあってしもうた。
小野妹子
ご苦労様でした。
本日はどうもありがとうございました。
りょうこ
いやいやどうも。
ところでねえちゃん、べっぴんさんじゃな。
どうだ?これからお茶でも?グヒグヒグヒ。
小野妹子
失礼な!甘く見るんじゃないよ!
ボケ、アホ、カス、ペッペッ!
りょうこ
あちゃー、また怒られてしもうた
小野妹子

ひのもとあや先生の一口寸評

「日本書紀」によると小野妹子さんは、
隋からの返事を百済人に取られた、と書いてありますが、
りょうこさんのインタビューでは、
「なくしました、と報告した」ことになっています。
どっちが正しいんでしょうね?
このへんはいまでも謎なんです。

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