いやでござ(1853)るペリーさん


ついにやって来ました黒船、
ペリーさんです。
はい、翻訳こんにゃく。
りょうこ
What is this?paku!・・・
オー、わらしの言葉、日本語なたあるですヨ。
めりけんにもこんな便利な道具、ないデース。
ジャパンマジック!!オーゴット!!
ペリー
なんかペリーさんの話し方、
シーボルトさんと同じなんですけど。
りょうこ
ノンノン。そんな事あるはずナイデース、
しいぼるとさん、どこのドイツ?人。
わらしめりけん人。全然別人あるデス。
でもわらし、しいぼるとさん、知ってマンネン。
ジャパンに来るのに、
しいぼるとさんの「日本」いう本読んで、
参考にしたバッテンですネ。
ペリー
へー、シーボルトさんを知ってるんですか。
ところで、
ペリーさんはなぜ日本に来たんですか?
りょうこ
一番の目的はデスネ、
ジャパンの鎖国やめさせるため、あるデス。
めりけんの船、マキで動くあるデスけど、
ジャパンのあたり来ると、
マキ足らない、ください状態バッテン。
そこで!!
ジャパンにマキと食糧補給のための港あると、
ベリベリーグッド!!
めりけん喜ぶサンキューです。
ペリー
ああ、燃料のマキと食べ物が欲しくて、
日本を開国させたんですか。
でもなんでアメリカから、
こんな遠くの日本まで来る必要があったんですか?
りょうこ
その理由はデスネ、鯨デース
鯨の油、めりけんで必需品だたあるデスヨ。
鯨取るため、はるかジャパン国まで船やて来てマス。
ジャパンのあたり、鯨たくさんいる、
取って取って取りまくり状態デンネン。
ペリー
え!?鯨取ってたんですか!?
今じゃ考えられませんね。
だって今はアメリカの人が
「鯨は数が少ないから取るな」
って言ってるくらいですからね。
・・・・まあ、それは置いといて、
ペリーさんが「鎖国やめろ!」と言ったら、
当時の日本人は何て返事したんですか?
りょうこ
はーい。
わらし初めてジャパンやて来た年(1853年)には、
みなさんあわてた、おどろいた、
びっくらこいた、デスネ。
幕府のヤクニンも、どーしていいかわからず、
「とりあえずどーしたらいいかわからんから、
帰って来年来てくれ」、
言われマシタデス。
ペリー
そうですねー、
ペリーさんがいきなり来ておどろかしたから、
日本はその後の「ペリーショック」をひきずったまま、
明治維新、太平洋戦争、経済摩擦・・・と、
アメリカ人へのコンプレックスが、
尾を引いてしまったんだ、って誰か言ってましたよ。
りょうこ
ハーイ、でもわらし、
そんな先の事まで知りませんデスネ。
とりあえず「来年来い」、言われたから、
正直に翌年(1854年)来て、
この時は日米和親条約、いう条約、
結んだあるデスよ。
結んだ、いうより結ばせた、いう方が正解デスかな?
ハッハッハッ。
そして下田と函館の港、開かせたあるデス。
ペリー
強引なやり方ですよね。
でもまあ、結果的に言うと、
日本のためには良かったのかもしれませんけどね。
りょうこ
デショデショ?
わらしのやり方、強引でしたケドモ、
ジャパンの目を開かせるのに役立ったハズ、
わらし、満足満足、ベリーハピー!!
そういえば、わらしジャパンのシモダ港いた時、
わらしに会いにチョーシュー、いう所の、
吉田トラジローいうサムライ来たらしいデス。
そしてそのサムライ、
「メリケン連れてってくれ」言ったそうデース。
めりけんに連れては行けない、
残念だったデスが、わらし思った、
「こういうサムライが出てくるようになるホド、
わらしのやた事、ジャパンに影響与えたネ」、と・・・
ペリー
そうですね、ペリーさんが来てくれたおかげで、
この後、坂本龍馬さんとか、勝海舟さんとか、
西郷隆盛さんとか、高杉晋作さんとか、
土方歳三さんとか・・・
あといっぱいいっぱい大人物が出てきて、
のちに「幕末」と呼ばれる時代に突入していくんですよ。
さあ、これからこれらの人たちに
インタビューするためのアポを取らなきゃ・・・・
忙しくなるぞー!!
それじゃペリーさん今日はありがとっ!!
バイバイ!!
りょうこ
オー!!もうお別れの時間あるデスか・・・・
わらしさびしさびしー。
こんなびゅうちほるな娘さんとグッバイなんて・・・
娘さん、またわらし呼んでくださいあるネ。
ペリー
う〜ん、
たぶんもうペリーさんへのインタビューは、
ないと思いますよ。
これで永遠のお別れですね。
もう死んでも会う事はないでしょう。じゃね、バイ。
りょうこ
アンビリバボー!!
そんなあっさりお別れなんて!!
・・・ああ・・・名残惜しかバッテン・・・
もうちょと・・・
ペリー
いつまでグダグダ言ってんの、
電気消すよ、バイ!
りょうこ
あ・・・もうちょとだけ・・・
ペリー
パチン(部屋の電気が消された音)
りょうこ

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