| 「武士という生き方」について その1.「斬捨て御免」 時代劇の影響か、武士(江戸時代を想定しています)といえば、 「斬捨て御免」という特権を持った階級、 という認識が、わりと一般的にあるようですが、 実際のところはどうだったのでしょうか。 まず、時代劇を基準にして江戸時代を計るのは、 明らかに間違っているということはここの常連の方でしたら常識でしょう。 で、実際にはどうなのかですが、 まず、武士が他の階級(農工商)の人間を理由なく斬捨てる事は、 いくらなんでもゆるされませんから、「斬捨て御免」とは、 「無礼討ち」にのみ適用されることであると考えて良いでしょう。 では、無礼者(当時の通りの良い言葉で言えば慮外者)であれば、 ばさっと斬って捨てちゃっても良いかどうかです。 ここで、文字どおり「斬って捨てる」つまりそのままにしておくと、 間違いなく罪に問われます。 当たり前の話ですが、しかるべき筋(普通は上司)に届を出さなくてはなりません。 で、自分が旗本であれば大目付の裁断を仰ぐ事になります。 また、斬った相手を管轄する役所(町人なら町奉行所、農民なら勘定奉行所)も出てきます。 で、被害者の遺族と加害者(自分)の言い分を双方の役所で吟味する事になります。 その過程で、本当に斬る必要があるほどの慮外(無礼)であったかが問われます。 (武士たるもの、そう軽々しく怒ってはいけないのです。) また、相手が若年や老人であった場合も、それなりに判定が厳しくなります。 (武士たるもの、常に弱いものを憐れまねばなりません。) この時点で「何も斬ることはないじゃないか」となったら、 軽くても蟄居、重ければ改易〜切腹までありえます。 では、これらをクリアすれば、晴れて無罪放免かといいますと、さにあらず。 このあと、一番恐ろしい判定が待っています。 それは、武士として恥ずべき行いが無かったか、です。 つまり、十分に我慢を重ねた上で、鯉口を切る (みちこ先生の授業にありましたね)やいなや、躊躇を見せたり、 頭に血が上ってめったやたらに斬り付けるような見苦しい真似をすることなく、 見事に斬捨てたかどうかが問われるわけです。 これが出来ていないと、「士道不覚悟」となり、 軽くても改易、大概は切腹となってしまいます。 当時の武士にとって士道・男道(変な意味ではない)とは、 生きる資格に等しかったわけです。 とは言っても、太平の続く江戸中期ともなると、 なかなか士道を心得た武士ばかりではありません。 ですから、刀を抜こうと思っても、なかなか抜けない。 しかし、因縁をつけられて殴られたような場合、 自分が町人ならば、殴り返さずに町奉行に訴え出ることもできますが、 武士がそれをやれば、間違いなく「士道不覚悟」「男道にもとる」と言われるので、 自力で何とかするほかは無いわけです。 で、そのまま黙って逃げて何も無かった事にする方がマシ、なんてことになってきます。 これは、個人レベルだけでなく、公の場でもそれを「よし」とする風潮に移って行きます。 例えば、水戸藩の支藩(守山藩)での通達を見ますと・・・ 江戸初期には「共割れ」(大名行列に横合いから割込みがあって列が切れる事)があったら、 割込んできた相手が武士(例えば他の大名行列)であろうと町人であろうと、 また、どちらに原因があろうとかまわず斬り捨てよ、と命じていましたが、 17世紀中頃には、よく話し合って、 こちらが悪い場合や、しかるべき理由がある場合 (どうしても大事な用事があった、など)はそのまま行かせよ、となり、 18世紀初頭には、ついに、何があっても気にするな、 たとえ列が三つ四つに切れてもかまわないから相手を通し、 相手が怒ってきたら、身分にも、どっちが悪いかにも関係なく、あやまってしまえ、 さらには、たとえ殴られても蹴られても我慢するのが立派な奉公である、となります。 つまり、「常に武士道の鑑であらねばならぬ」という建前と、 「実際、そんな立派な生き方(特に実力)が出来るやつがいるか?」 という本音の境目で、現実化してきたのが、 (殴られても蹴られても我慢して、何も無かった事にすれば、 武士道の発露としての鮮やかな行動は必要とされないので) 「本当はちゃんとできるんだけど、別に何事もないからそういう行動をとらないだけだもんね」 という、実にいじましい処世術だったわけです。 もちろん、そうではない武士もいましたが、 記録を見る限りでは、特に江戸中期以降は、 上記のような武士が多数派を占めていたようです。 |