「武士という生き方」について
その3.「武士は相身互い?」


「武士は相身互い」とは、時代劇によく出てくる台詞ですが、
今回はこの言葉に付いて考えてみましょう。

まず、この言葉の意味ですが、これはもう明白でしょう。
要するに、武士と言う階級を前提とした、互助精神を象徴する言葉である訳です。
まぁ、例えば同僚に対して連帯感を持つのは当たり前の話であり、
その中から互助精神が生まれていくのも、至極当然のことではあります。
が、この場合の「相身互い」の対象は、武士と言う階級全体であり、
場合によっては、知り合いであるとも限らないのです。

例えば、元禄期以降に成立したとされる「武士としては」という書物を見ますと、
道を歩いていると前方から、武士(もちろん知り合いでも何でもない)が誰かを追いかけて走ってくる。
その時追いかけている武士に「頼む!」と声をかけられると、たとえ斬ってでも止めなければならない。
という、不思議なルールの話が出てきます。
この本には、これについて様々な実例が載っており、中々面白いのですが、
内容を詳しく述べるのは、今回のテーマから外れるので、
別の機会(「路上の平和」とでもしましょうか)に譲ります。
いずれにしても、頼まれただけで、これだけの事をしなくてはならない、
また、そう期待されているのが、武士というものであったわけです。

では、この互助精神の対象はどのあたりまで広がっていたのでしょうか。
例1幕末のころ、紀州藩の支藩田辺藩で田辺藩と、
本藩からの与力(寄騎)との間で、所属をめぐる争いが起こります。
田辺藩といくら話し合っても埒があかないので、与力達は本藩(和歌山)にでて訴えます。
ところが、ここでも中々結論が出ず、そうこうしているうちに滞在費が底を尽いてしまいました。
で、やむなく借金をしようと言う事になるのですが、
なんと、彼らは争っている当の相手の田辺藩邸に借金の申し込みに行ったのです。
我々から見れば、まるで、訴訟費用が足りないので訴訟相手に借金を申し込みに行くような物で、
ちょっと、信じられないような話ですが、
さらに驚く事に、当の田辺藩邸側は、至極当然と言った感じで、
金子(当然、無利子無担保です)を用意し、しかも分割払いでもよい、とまでいいました。
つまり、争っていても、互いに武士である以上互助精神の発動の対象であったわけです。

例2「葉隠」によれば・・・
深江介右衛門のところに土井大炊頭の家来が、刃傷沙汰を起こして逃げ込みました。
で、大炊頭側から、引き渡しの要求があったとき、
「此度の駈込者の儀は・・・中略・・・介右衛門を人と存じ相頼み申候・・・中略・・・某一命に替申覚悟にて候」
つまり、自分を武士として頼んできた相手だから、自分の命に変えても守る!と宣言しました。

例3同じく「葉隠」からの実例です。
永山六郎左衛門が東海道を下っていたときの事、
物乞をしていた男が、六郎左衛門に「越後浪人にて候、路銭に詰り難儀仕り候、士は互の事に候、御見次下され候」
(浪人で、旅費にも事欠いて困っています。武士は相身互いです、助けて下さい)と、懇願しました。
ところが、六郎左衛門は、
「士は互の儀とは推参なる事を申し候、我等など其体になり候時は腹を切り申し候、
路銭なくて恥をさらすべきよりは、そこにて腹を切り候へ」
(武士は相身互いとは、物乞のくせに無礼な事を言うやつめ!
私が、そんなに困ったら、物乞などせず、潔く腹を切るぞ。
おまえも、そうやって恥をさらすくらいならそこで腹を切れ!)とはねつけました。
つまり、相手が武士として行動している限り、相手との間にどんな事情があろうとも「相身互い」ですが、
一旦相手が武士としての誇りから滑り落ちてしまえば、たとえ憐れむべき状態にあっても、
最早、武士として「相身互い」の互助精神を発動すべき対象ではなくなる訳です。

この様に、武士とは、階級であると同時に心のありようでもあるわけで、
この心を保持している限り、互いに武士として尊重されたわけです。

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