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明治維新とは一体何だったのか
今日は、明治維新とは一体何だったのか、について考えてみましょう?
我々は明治維新を、完成した『物語』として見る立場にあるわけで、
明治維新という事件を覚えるという点では、
これは有効なアプローチだと言ってよいと思いますが、
たまには別の視点からみて見るというのはどうでしょうか?
実は、明治維新というイベントは、以下の2つの要素からできています。
それは、
1.倒幕、つまり幕府を倒して新しい政府を組織すること
2.幕藩体制を解体して、近代国家への脱皮を遂げること
です。
一見すると同じ事を言っているように見えるかもしれませんが、実はこの2点は全く別の問題なのです。
江戸時代の日本は征夷大将軍を頂点とする幕藩体制下にありましたが、
この幕藩体制とは即ち『領主権による連邦制国家』体制のことだったわけです。
で、江戸時代が始まった時点ではこれは一つの模範解答と言ってよい物で、
この体制を構築した事が260年に渡る平穏な時代を可能にしたと言えますが、
幕末時点では既に領主権による連邦制国家は時代遅れの物となっており、
近代国家である欧米諸国と対峙するのは到底不可能となっていました。
ですから、日本も幕藩体制を脱却して近代国家へと脱皮する必要があったわけです。
このために、幕府を改革し、征夷大将軍を首班とした近代国家へと移行しようとしたのが『佐幕派』であり、
「幕府は日本の近代化においては障害である」と考えて、
これを破壊することで近代国家への移行を果たそうとしたのが『倒幕派』なわけです。
こういう意味での『佐幕派』としては、日本の近代哲学の創始者である西周(にし あまね)らをブレーンとして、
近代国家体制への模索を続けた松平春嶽(しゅんがく)や、何よりも慶喜自身が居ます。
つまり、佐幕派であっても幕藩体制をそのまま保持し続けることが不可能である事、
近代国家への脱皮が急務である事は判っていた訳で、
結局この観点から見た幕末の動乱とは、
幕藩体制から近代国家への脱皮の過程での『主導権争い』だったわけです。
つまり、幕末当時の日本における知識人の間では、幕藩体制を脱却して近代国家へと変貌を遂げるべき
という認識は最早常識であったと言っても良いでしょう。
さて、ここで問題となるのは、
(1)この『近代国家』なるものの正体は何か?
(2)何故『近代国家』にならなければならなかったのか?
という2つの疑問です。
で、第一の疑問である『近代国家』とは即ち、
@(国民の権利を保障する)憲法
A(国民の代表によって構成された)議会
B(国民に対する徴兵制による)国民軍
の3つをセットとして持った国家の事です。
ですから、近代国家の事を『国民国家』と呼ぶ事も有ります。
明治政府も上記の3点セットをB→@→Aの順に実現してゆきました。
次は、なぜ『近代国家』にならねばならなかったのか、つまり何故上記の3点セットを獲得しなければ
ならなかったのでしょう?
その答えを得るためには、18世紀末のヨーロッパを見なければなりません。
18世紀末にヨーロッパで起こった大事件と言えば・・・
もちろんフランス革命(1789年)ですね。
フランス革命以前の国家とは、国王個人の持ち物であり、国家に対して責任を負うのは、
政治に携わる国王と貴族達だけで、国民は単に納税するだけの存在でした。
ですから、政治と国防は国王と貴族が行う物であり、実際に戦う兵隊は、
国王により金で雇われた傭兵だった訳です。
国家に対して権利を持たない国民(臣民)は、
国家に対する責任(納税以外の義務)もまた負わなかったんですね。
ところが、フランス革命でこの事態が一変します。
革命で国家の主人である国王を処刑したフランスでは、
国民全員が国家の主となった(国民主権)わけです。
その時、フランスを取り巻く諸国は全て王制であったので、フランス革命に大きな危機感を抱き、
フランスに攻め込んで、革命を潰そうと考えました。
フランスを除く全ヨーロッパが反フランス革命で団結した訳です。
共和制フランスは建国早々滅亡の危機に晒されます。
この時、フランス国民は『国家の主』として、国防の義務を果たすために立ち上がります。
プロの傭兵ではなく一般の国民を兵士とする、『徴兵制』が成立したわけです。
あっという間に100万人を越えるフランス国民軍が成立しました。
この当時、フランス以外の国は全て傭兵の軍隊だったんですが、
この傭兵軍はプロの集団であるために大変強いのですが、
その一方で非常に高くつく軍隊でもありました。
なにしろ、命を懸ける仕事なわけですから、給料も当然高額に成らざるを得ません。
ですから、どうしてもフランス軍に対抗できるほどの人数を集める事ができません。
それに対して、フランスの国民軍は素人の集まりですから弱いのですが、
その代わり全員が『国家に対する義務を果たす』ために参加しているので、
士気は高いし、給料もほとんど要りません。
初期の義勇兵達は、武器ですら自弁しています。
ですから国民軍は短期間に100万を越える大軍を集める事ができた訳です。
もちろん、彼らは軍事の素人が大部分ですからプロ集団である反革命軍相手に惨敗を重ねます。
しかし、自らの義務を果たし祖国を防衛するために参加しているフランス軍は、負けても負けても挫けません。
反フランス連合軍を率いたオーストリアの将軍ホーエンローエ公は、
破っても破っても立ち直って向かってくるフランス軍を前に、
とうとう「バカどもには勝てん!」と匙を投げてしまいました。
そして、フランス側に軍事の天才ナポレオンが出現するに至り、
ついに反フランス連合軍の唯一のアドバンテージであった戦略的優越すら失われてしまいました。
こうなると、もはやフランス国民軍に勝てる軍隊は存在しません。
ナポレオン率いるフランス国民軍は、あっという間にヨーロッパを席捲してしまいました。
このとき、ナポレオンに蹂躪されたプロイセンから、別の天才が出てきます。
シュタイン、ハルデンベルグ、そしてシャルンホルストです。
彼らは、ナポレオン率いるフランス国民軍に対抗できるのは、
同じく徴兵制による国民軍以外には有り得ないと考えました。
なぜなら、
@数に対抗できるのは、数だけである。
Aしかし、フランス国民軍に対抗できるほどの規模の傭兵軍を作る事はできない。
なぜなら、それほどの人数に対して、命を捨てても良いといえるほどの金を払う事は不可能だから。
Bだから徴兵制を施行して人数を集めるほかは無い。
Cそうなれば、徴兵される人々に対して、お金以外で命を捨てるに足るだけの報酬を与えなければ
ならない。
Dそれを可能にする報酬とは、国民を政治に参加させることで、国家に対する責任をもたせること以外にはない。
見方を変えれば、国政へ参加する権利を持たない国民に、
国家のために命を捧げる事を求めるのは倫理的に許されない。
という事だった訳です。
ここに至って、ヨーロッパで国家を維持する(近代国家となる)ためには、
↓
国民軍を持たざるを得ず、その国民軍を成立させるためには
↓
議会を通じた国民の国政への参加を認める他は無く、それを保証する約束としての
↓
憲法を作る他はない。
という事に成った訳です。
このナポレオンに始まる軍事革命の背景には、産業革命の進行による大量生産技術の確立もありました。
たとえ100万人の歩兵を集める事が出来ても、
彼ら全員に銃を与える事が出来なければ、何の役にも立たないことは明らかです。
そして、その大量生産の小銃を手にした歩兵達は、国家の為にその生命を捧げるという行為を通じて、
彼ら自身の生命という代償を支払って、
政治への大きな発言権を獲得してゆきました。
この一連の流れを、イギリスの著名な戦略家として知られるJ・F・C・フラー少将は
「小銃が歩兵を作り、歩兵が民主主義を作った」
と表現しました。
こうして、近代国家となるための3点セットができました。
これが19世紀の始めの事です。
19世紀後半に成って、国際社会に久しぶりに顔を出した日本は、世界的な帝国主義の流れの中で、
国家の独立を維持するためには、
他の帝国主義的国家に対峙し得るだけの実力を持った近代国家へと脱皮する以外に無いという事を、
思い知らされます。
そのための唯一の手段が、上記の近代国家3点セットの獲得だった訳です。 |