太平ではない太平記と足利幕府


今日はゲストが三人です。
楠木正成さんと新田義貞さんと足利尊氏さんです。
りょうこ
くすのきでーす。
楠木正成
にったでーす。
新田義貞
三波春男・・・・・
いやいや足利尊氏でございます。
足利尊氏
足利はんは、いつも一人で目立とうとするねんな。
楠木正成
そうだいのー。
「太平記」の中でも、
オラと楠木くん二人は最後まで後醍醐天皇のために戦うのに、
足利くんだけは一人裏切ったんだいのー。
新田義貞
おみゃー、ありゃーオラの意志じゃなかっぺよ。
他の武士たちが裏切れってゆーから、
オラ、やむをえず裏切ったんだっぺ。
足利尊氏
何言っても裏切りは裏切りだんべ。
言いわけできねえべ?
新田義貞
まあまあ二人とも。
ところで「太平記」って何ですか?
りょうこ
ワイが説明したる。
ええか、「太平記」ゆうんは、
鎌倉幕府滅亡あたりから南北朝統一くらいまでザッと書いた本や。
ちいとフィクションもまじっとるがな。
楠木正成
楠木くんは最初から後醍醐天皇の味方。
そしてオラと足利くんは途中から後醍醐天皇の味方になって、
オラは鎌倉を、
足利くんは六波羅(京都の幕府出張所みたいなもの)を攻め落としたんだんべ。
新田義貞
という事は、鎌倉幕府滅亡まで、三人は味方だったわけですね?
りょうこ
んだんだ。
けんどその後、後醍醐天皇の建武の新政が始まったんだけんど、
こっれがまあ、えりゃあ不公平だったんだっぺ。
足利尊氏
天皇家や公家を大切にして、武士にほうびをあまり与えなかったんですよね?
りょうこ
んだんだ。
いーかおめえ、極端な例は、オラの友達の赤松則村ってヤツよ。
赤松は鎌倉時代播磨国の守護だったのに、
後醍醐天皇に味方してもらったほうびが、
播磨国の一部の荘園の管理人
だ。
これがどういう事か、わかるか?おめえ。
足利尊氏
つまり兵庫県知事が命をかけて戦って勝ったのに、
その結果神戸市長の秘書に格下げされたようなもんですね?
りょうこ
そーゆうことよ。
こりゃ怒るで、おめえ、誰でも。
だからもっと公平にほうびをもらえるように
オラが立ち上がってやったんだっぺ。
足利尊氏
でも天皇のために戦えるだけで名誉なんだから、
ほうびを期待しちゃいけねえだんべ。
新田義貞
そりゃおめえ、平安時代の理論だっぺ。
今は武士の世の中だ。
新田くんや楠木くんみたいな人間は数えるほどしかいねえだ。
オラや赤松くんみたいな考え方の武士がほとんどなんだっぺよ。
足利尊氏
楠木さんはどうですか?
あまり発言がありませんが。
りょうこ
・・・・ワイはとにかく理屈ぬきで、
後醍醐天皇はんのために戦って死ぬるのが自分の人生や、と決めたんや。
楠木正成
うわー、なんてエエカッコシイ、だっぺ。
楠木くんは確かに後醍醐天皇のために戦って死んだから、
ずっと後まで「いい人」でいられたけど、
オラなんか後醍醐天皇にさからったから、
ずっと「悪い人」にされちまったっぺよ。
足利尊氏
だって「悪い人」だんべ。
新田義貞
ちがーう!!
オラは「南朝」の後醍醐天皇にはさからったけど、
ちゃんと「北朝」の光明天皇に征夷大将軍にしてもらってるんだっぺ!!
足利尊氏
そういえばこの時代から天皇家が二つになってしまった。
いわゆる「南北朝時代」ですよね。
りょうこ
んだ。
まあ、南朝北朝どっちが本物か、
というのはイデオロギーの話になっちまうので置いておくが、
オラたちの「太平記」の時代では、
それぞれが自分は正しい、と主張していたんだんべ。
新田義貞
それぞれが、それぞれの考えで、
自分は正しい、思うとるから、
この時代は「太平ではない太平記」の時代、
つまりものすごいゴチャゴチャした時代になってしもうたんやな。
楠木正成
だからオラがこのゴチャゴチャをまとめようと思って、
足利幕府を開いたんだけんど、
オラの弟と部下がケンカしたり、
オラと弟がケンカしたり、
かえってゴチャゴチャゴチャゴチャ
なんだか訳わからん状態にしちまったんだっぺ。
ハァハァハァハァハ。
足利尊氏
笑ってる場合じゃないでしょう。
それでいつこのゴチャゴチャがおさまるんですか?
りょうこ
それがこの足利くんの孫、
足利義満の時代になって、やっと一区切りつくんだんべ。
新田義貞
そうですか。
なんだか私の頭もゴチャゴチャしてきたので、今日はこの辺にしときましょ。
りょうこ
ちょっと  待って          や
まだ   言いたいこと  が・・・・・・・・・・
あー、        ハラ      へった
 そうそう、     ギャラ      出ない  んきゃ?
ケチ    だんべ・・・・・・・・・・・・




  
楠木正成
新田義貞
足利尊氏
あーーーーっ!ゴチャゴチャとうるさいっ!!!
りょうこ

ひのもとあや先生の一口寸評

太平ではないのに「太平記」。
この本は40巻まであるのですが、なぜか22巻だけが現存しません。
ただ単に「残ってなかった」のではなく、
「意識して抜かした」ようなのです。
これも日本史の謎の一つなのですが、
みなさんその理由を推理してみませんか?

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