大政奉還
さて、本日は最後の将軍・徳川慶喜公をお迎えして、大政奉還についてお話を伺いたいと思います。 提供はひのもとあやHP、 インタビュアーはきたかぜでお送り致します。 | |||||
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| では、慶喜公。ささ、こちらへ。 | |||||
| きたかぜ | |||||
| ふん、へん、ちっ。 | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| なんですか、いきなり。 | |||||
| きたかぜ | |||||
| 裏切り者の薩摩めっ。 | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| まだ、言ってるんですか。 | |||||
| きたかぜ | |||||
| 生涯忘れるものかっ。 | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| もう、生涯終わってるんですけどd(^-^; | |||||
| きたかぜ | |||||
| そうなんだけどさ。ふん、へん、ちっ。 | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| 急にくだけてきましたね。 その調子で大政奉還の話を、ぜひ。 |
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| きたかぜ | |||||
| よっしゃ、わかった。 長州は最初から反幕府の急先鋒であった。 それは維新までずっと変わらなかった。だから、長州はいい。 |
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| 徳川慶喜 | |||||
| いや、あの | |||||
| きたかぜ | |||||
| ところがだっ!! 薩摩はなんだっ。 最初は幕府の見方のふりをして長州を攻め落とし (禁門の変のことらしい。きたかぜ注)、 ところが情勢が変わって、こっちがちょっと落ち目になると |
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| 徳川慶喜 | |||||
| だから、その、あれ | |||||
| きたかぜ | |||||
| 裏で工作し、ぎりぎりのところで寝首を掻くようなまねをしたのだ。 こんな武士にあるまじき卑怯な振る舞いがあるものか。 |
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| 徳川慶喜 | |||||
| 家康以来の権謀術数家と言われたあなたが、 西郷さんや、大久保さんに負けたってことなのでは? |
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| きたかぜ | |||||
| ふん、へん、ちっ。 | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| 定信ちゃんじゃないんだから(風雲児たち参照してね:きたかぜ注) | |||||
| きたかぜ | |||||
| ともかく、これを言わずには死んでも死にきれないのだ。 | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| もう、死んでるってばd(^-^; それにさんざん言ったでしょ。 | |||||
| きたかぜ | |||||
| で、本題に入るが | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| おおっ、それですよ、それ。 | |||||
| きたかぜ | |||||
| 大政奉還? そんなもん、坂本龍馬が一人でやったんだろっ。 | |||||
| 徳川慶喜 | |||||
| 投げやりですねd(^-^;・・・ あれ? そこにいるのは龍馬さん? |
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| きたかぜ | |||||
| 龍馬が草場の陰から現れる。慶喜ちょっと頬を赤らめる。 | |||||
| 慶喜さんのために、ちょっとだけ言わせちゃり。 | |||||
| 坂本龍馬 | |||||
| どーぞ、どーぞ。 | |||||
| きたかぜ | |||||
| 大政奉還は確かにわしの案じゃきに。 でも、それを実施してくれたのはこの慶喜公ぢゃき。 自分で自分の地位も名誉も、 さらには270年も続いてきた幕府をも捨てることが出来ちゅうは、 この慶喜公をおいて他には絶対おらんぜよ。 自分の権力・権限を失いたくないために改革をことごとくつぶそうとする、 平成の御代の官僚達を見ればその困難さがわかろうというものぢゃ。 |
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| 坂本龍馬 | |||||
| 慶喜、さらに顔を赤らめる。 | |||||
| 龍馬さんは、今の時代も見てるんですか。 | |||||
| きたかぜ | |||||
| おう、心配じゃきに、ちょくちょくうおっちしちょる。 | |||||
| 坂本龍馬 | |||||
| うおっち ですかd(^-^; | |||||
| きたかぜ | |||||
| 「よくぞ断じたまえるかな、 予、誓ってこの公のために、一命を捨てん」 |
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| 坂本龍馬 | |||||
| 慶喜、全身を信州リンゴ色に染める。 | |||||
| 大政奉還なったときの、龍馬さんの言葉ですね。 最後にいい話を聞くことが出来ました。 ありがとうございました。 |
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| きたかぜ | |||||
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| インタビュー後記
とうとう最後には、慶喜さんは赤い絵の具になってしまいました。 面と向かって誉められて照れてしまったようです。けっこうシャイな方なんですね。 たいした謀臣も持たず、たった一人で反幕府派と戦った慶喜。 歴代の徳川家でそれが出来たのは家康と慶喜ぐらいだと言います。 その慶喜が、大政奉還を受け入れたことについて、 いまなお多くの疑問が残っています。 兵力・火力(武器)では、薩長連合に決して負けていませんでした。 慶喜が先頭に立てば、人材不足の幕府といえど勝てる戦であったことでしょう。 でも、慶喜はそれをしなかった。 当時の世界は、植民地政策をとる列強が、植民地を探して血眼になっていました。 アジアの雄・中国でさえ内紛のスキをつかれ、阿片戦争で植民地同然になりました。 もし、慶喜が権力に固執する政治家であったら、どうなっていたでしょう。 幕府には人材がいないということを、慶喜はよく知っていました。 例え一時戦いに勝ったとしても、 その後安定して国を治め続けることが出来るのか、 という疑問が常に慶喜にはあったことでしょう。 戦乱は長引き、国力は落ち、有力な人達がどんどん倒れれば、 他のアジア諸国のように、 ヨーロッパのどこかの国の植民地になっていたかもしれません。 亡国の徒という言葉を慶喜はとても恐れたでしょう。 自分の時代の人々ではなく、後生の人達の目を気にしていたのです。 歴史を見ていたとも言っていいでしょう。 それはあくまで水戸史観であったかもしれません。 でも、そのおかげで日本は植民地化されることなく維新を迎え、 おそらくはアジアで唯一の侵略を受けたことのない国家として存在しているということを、 私たちは忘れてはならないでしょう。 少なくとも慶喜には、そういう自負があった。 それだけのことをした自分に対しての維新政府の仕打ちは、 慶喜にとって腹立たしいものであったことは間違いありません。 その不満が薩摩への恨みとなって、あの発言になったのだと思います。 | |||||
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| ひのもとあや先生の一口寸評 | ||
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| きたかぜさん、インタビューご苦労様でした。 徳川慶喜さんは最近でこそ大河ドラマなどで有名になりましたが、 それまではあまり評価されていない人です。 しかし龍馬さんやきたかぜさんが言っているように、 慶喜さんは「日本」を守るために幕府を手放すことができた、すごい人だと私も思います。 願わくば大政奉還後の政治にも関わりたかったのでしょうが・・・ 朝敵にされてしまったのはまさに薩摩の「いじめ」に他なりません。 シャイな慶喜さんに.........((((((((^ ^)ソソソチュッ( ^)3(◎o◎)/オー! | ||