日本史・That's雑談
第一回 主題 
なぜ歴史を勉強するの?


それでは記念すべき第一回目に取り上げるテーマは、
なぜ歴史を勉強するの?」です。
みなさんの忌憚(きたん)のない意見を聞かせてくださいね。
ひのもとあや
キタナイ意見って何ですかな?
伊塚光五郎
アンタ、黙っといてや、
頼むから・・・・・
赤字屋サバ
なぜ歴史を勉強するかって・・・・・・
そりゃ受験のためでしょ?
いい高校に入っていい大学に入るため、
って、みんな言ってるよ。
りょうこ
せやったら、
大学出たらもう歴史なんぞ勉強せんでもエエ、
ちゅうことになってまうがな。
りょうこはん、そりゃおかしいんとちゃう?
赤字屋サバ
そんなこといったって・・・・・
みんなそう言ってるんだモン!!!!
サバ教頭、私をいじめてる!??
りょうこ
い・・・いや、そないなことあらへんがな・・・(^▽^;)
ワイはただそりゃおかしいんやないかなーーー
思うて・・・・・・
赤字屋サバ
ふぉふぉふぉ、
普段ワシをイジめてるサバ教頭も、
りょうこ殿にはかなわんようですな。
よろしい、それではワシの意見を披露しましょうかな。
え〜〜、なぜ歴史を勉強するのか・・・・・・それは、
ん〜〜〜〜と・・・・・・なんでじゃったかのう?
伊塚光五郎
そりゃ漫才のボケかい?
それともホンマのボケなんかい!?
どっちやねん!!
赤字屋サバ
たぶん、ホンマのボケでしょうね。
ひのもとあや
あや先生、きつい事いいますなあ・・・・
伊塚光五郎
あの〜、テーマからはずれてきてるようですけど・・・・
りょうこ
そうですね。
それでは私の意見を言いましょう。
なぜ歴史を勉強するの?
それは、歴史に学ぶためです。
ひのもとあや
それそれ。
ワシもそれが言いたかったんですゾイ。
伊塚光五郎
ホンマかいな・・・・?
赤字屋サバ
歴史に学ぶとはどういうことか?
次にその具体例をあげて説明したいと思います。
ひのもとあや


1904 日露戦争
     日本、終始戦争資金不足だったがかろうじて勝利
     その後資金不足のため、アメリカに仲介を頼んで有利に講和を結ぶ努力をする

1905 なんとか勝っているうちにアメリカの仲介によりポーツマス条約締結
 ・
 ・
 ・
1941 太平洋戦争
     日本、戦争資金不足で戦争を始めたがかろうじて最初の戦いは勝利
     その後資金不足を人海戦術でおぎない、戦いを続行
     ミッドウエー海戦などであきらかに負け始めたのにまだ戦いを続行
     「このままではまずい」と、宿敵ソ連に(^▽^;)仲介を頼もうとするが、失敗
     そのうちイタリア・ドイツという味方がぞくぞく負け、まわりがみんな敵だらけになる
     東京にまで爆弾を落とされてるのに、まだ戦いを続行
     とどめとばかり二発の原子爆弾を落とされ、ようやく戦いをやめる

1945 ポツダム宣言受諾
     無条件降伏(日本、大負け)

上の年表は、
日露戦争と太平洋戦争を、比較してみたものです。
この二つの戦争の経過をくらべてみると、
太平洋戦争は日露戦争の歴史に学ばなかったためにおきた悲劇
とも言えます。
ひのもとあや
どういうことですか?
りょうこ
日露戦争の時は、戦争を始める前から、
「有利な条件の時に講和する」
という大前提があったんですね。
だけど、太平洋戦争の時は、
「講和する」のを二の次においてしまっていた。
だから負け始めたときでも、ずるずる戦いを続けて、
結局最悪の状態の時、ソ連に講和の仲介を頼もうとするんだけど、
失敗して無条件降伏、という結果に終わってしまった。
つまり、日露戦争では「引き際」に成功したのに、
太平洋戦争では日露戦争の「引き際」に学ばず、
大負けした
、ということですね。
ひのもとあや
もっとも、日露戦争の時は、
ロシアは革命が起こる直前で、戦争を長引かせたくなかった、
せやから講和に応じた、ゆう事情があったんや。
だけど太平洋戦争では仮にアメリカと講和しようとしても、
アメリカは長期戦を何とも思ってへんかったから、
おそらく「有利な講和」なんちゅうのはでけへんかった、思うけどな。
赤字屋サバ
そんなら最初から戦争なんかしなきゃいいじゃない?
りょうこ
その通りですね。
でも、歴史には「しなきゃいいのに」と思ってても、
起こってしまう戦争というのは現実にあるんです。
今は、起こってしまった後の「引き際」の話ですね。
太平洋戦争では、もっとはやく講和のための手をうっておけば、
犠牲者はもっと少なくてすんだのではないか
ということが言いたいわけです。
ひのもとあや
もっとはやくコルゲンを飲んでおけばよかったんですのう・・・・・・
伊塚光五郎
そりゃコルゲン「コーワ」やて!
こっちは「講和(こうわ)」!!
たまに発言したか、思うたら、そんなくだらんボケかい!
赤字屋サバ
でもさあ、講和すれば早めに戦争は終わったんでしょ?
なぜ講和しなかったの?
りょうこ
まだカゼじゃない、と思ってたんでしょうなあ。
伊塚光五郎
だからコルゲン「コーワ」やない、ちゅうに!!
あんな、勝ってるときに講和を結ぶ、ちゅうんはむずかしいんやで。
子供のケンカかて、勝ってる方が「仲直りしよ」なんて言わんやろ?
ましてや国レベルの講和となると、反対するモンがぎょーさんおんねん。
特に軍人はな。
赤字屋サバ
でも日露戦争の時は講和できたんでしょ?
なんで太平洋戦争ではできなかったの?
りょうこ
日露戦争の時は、軍人でも政治家でも、
「これ以上戦争を続けられない」という事情がよくわかっていました。
だから「ロシアと講和する」という話になった時でも、
すんなりうまくいったんです。
ところが太平洋戦争の時は、政治家は、
「これ以上戦争を続けられない」という事情はよくわかっていたけれど、
軍人は「カネがないなら現地調達だ!」とかいう、
どんぶり勘定的な予算をたてていました。
つまり政治家と軍人の意識がかみあってなかったんですね。
そしてさらに悪いことに、軍人の意見を政治家が止められなかった・・・・
この「政治家と軍人の意見の違い」で講和できなかったんです。
ひのもとあや
「軍人の意見を政治家が止められなかった」
ということについては、「統帥権(とうすいけん)」ちゅう、
なんやわからん権利がからんでくるんやけど、
「統帥権」については、
ろーえん先生の講義の「誰が何処で間違ったのか」で、
詳しゅう説明されているので、
そっちを読んでおくんなはれ。
赤字屋サバ
うっとりしてしまいますなあ。
伊塚光五郎
それは「陶酔(とうすい)」ですね。
そんなボケはほっといて、話の続きです。
つまり結論として、さっき言ったように、
太平洋戦争は日露戦争の「引き際」に学ばなかったために失敗した
という事です。
ひのもとあや
これは歴史に学ばなかった、という悪い例だよね。
歴史に学んで成功した、という例もあるんですか?
りょうこ
それが残念ながら日本人は歴史に学ばない人が多いので、
成功例は少ないんです。
次はその数少ない成功例をあげてみましょう。
ひのもとあや


1192 鎌倉幕府はじまる(開始年については諸説あり)

1189 源頼朝、弟の義経を殺す。
     義経をかくまっていた奥州藤原氏も滅ぼす
     鎌倉幕府の基礎がかたまる
 ・
 ・
 ・
1336 足利幕府はじまる
    足利尊氏、後醍醐天皇を吉野に逃がしてしまい、南北朝対立始まる

1350 尊氏の弟(直義)と家来の高師直がケンカ
     しかもそのあと尊氏が弟(直義)を毒殺(観応の擾乱)

 ・
 ・
 ・
1603 徳川幕府はじまる

1615 大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼす
     徳川幕府の基礎がかたまる

上の年表に出てくるのは、
教科書でもおなじみの三つの幕府のなりたちです。
このうち鎌倉幕府をひらいた源頼朝と、
徳川幕府をひらいた徳川家康は、
「歴史に学んだ」と言っていい
でしょう。
でも足利幕府をひらいた足利尊氏は、
「歴史に学ばなかった」と言える
かもしれません。
ひのもとあや
足利尊氏は、
「♪足利ある、足利ある、足利あ〜る〜さ〜♪」
という歌ばっかりうたってて、
歴史の勉強を明日に明日に先送りしていたという話ですぞ。
伊塚光五郎
んなアホなことあるかい!!
赤字屋サバ
この三人の違いってどういうことなのか、
あや先生、もうちょっと詳しく説明してくれない?
りょうこ
それでは源頼朝からいきましょう。
頼朝は鎌倉幕府を開くまでは、
罪人として伊豆の地で過ごしていました。
その間に日本初の武家政権である「平氏」のやり方を、
じっくりと観察し、勉強していたんです。
ひのもとあや
そして平氏の人気が落ちるのを待って、
弟の義経、その他の仲間たちに命令し、
平氏を追放、最終的に滅ぼしてまうんや。
頼朝はその後鎌倉幕府をつくるんやけど、
「平氏がなぜ滅びたか」をじっくり学んどった頼朝は、
その失敗を繰り返さぬよう、いろいろ努力をした。
赤字屋サバ
どんな努力ですか?
りょうこ
一つ目は天皇家とお近づきにならなかった、ということですね。
天皇家とお近づきになると、武士のための政治ができなくなる、
という事になります。
「平氏」は天皇家とお近づきになりすぎたので支持されなかった、
ということを頼朝はちゃんと学んでいたのです。
ひのもとあや
天皇家とお近づきにならないために、
わざわざ天皇家から遠い鎌倉に幕府を開いたんやで。
かしこいわ、頼朝はんは。
赤字屋サバ
二つ目は、対抗勢力を徹底的に滅ぼした、ということですね。
平氏はもちろん、奥州藤原氏、そして弟の義経までも、
対抗勢力になると思ったら滅ぼしてます。
ひのもとあや
これは「平治の乱」で、
平氏が源氏を滅ぼさなかった(頼朝や義経を生かしておいた)ために、
滅亡してもうた、ゆうことを学んでたからやね。
せやから徹底的に滅ぼしてまうねん。
赤字屋サバ
平氏は査察にあまり協力しないし、
大量破壊兵器を持ってるらしいし・・・・
滅ぼされて当然、と頼朝は考えていたらしいですな。
伊塚光五郎
そりゃ「平氏」やない、「フセイン氏」やろ!!
むりやり時事ネタにひっかけんでもエエわい!!
赤字屋サバ
頼朝さんは「ブッシュ鎌倉」とあだなされたとか・・・・・・
伊塚光五郎
「ムッシュかまやつ」をひねったつもりかい!?
なんにせえ、くだらんボケはやめぇ!!
赤字屋サバ
つまり頼朝さんは歴史に学んでた、ということですね。
他の人は?
りょうこ
二人目は、時代を飛ばして徳川家康です。
この人は源頼朝のやり方を全面的に学んでますね。
まず、天皇家とお近づきにならなかった
これは、江戸(東京)に幕府を開いた、ということでもわかると思います。
そして、対抗勢力を徹底的に滅ぼした
これは前の権力者だった豊臣家を、一人残らず滅ぼしている、
という事実を見ればわかりますね。
家康は歴史を学びつくして、徳川幕府270年の平和を築いた
と言えるでしょう。
ひのもとあや
源頼朝と徳川家康は歴史に学んだいい例、として、
こんくらいでエエやろ。
問題は、足利幕府をひらいた足利尊氏や。
赤字屋サバ
そうですね。
では足利尊氏が幕府を開いた時どうだったかを説明しましょう。
まず、天皇家とお近づきになってしまった
これは幕府を京都に開いたことでもわかりますね。
しかも、南北朝対立という天皇家のお家騒動をそのままにしたまま、
後醍醐天皇を吉野に逃がしてしまった・・・・
これはつまり、対抗勢力を徹底的に滅ぼさなかった
ということですね。
その結果どうなったか、というと、
足利幕府が始まった最初から、南北朝の対立はあるわ
主従のケンカはあるわ兄弟のケンカはあるわで、
まったく落ち着きのない政権ができあがってしまったわけです。
ひのもとあや
尊氏は歴史に学ばなかったんやね。
しゃあからこの落ち着きのなさが尾を引いて、
足利幕府時代の真ん中あたりから後は、
完全な「戦国時代」になってまうねん。
要するに「足利将軍の言うことなんか聞かへんよ〜〜」
ちゅう大名ばっかになってもうたんや。
赤字屋サバ
尊氏さんが歴史に学ばなかったばかりに、
大変な時代になっちゃったわけですね。

そうですか・・・
これで「なぜ歴史を勉強するの?」という今回の主題が理解できました。
失敗を繰り返さないために「歴史に学ぶ」んですね。
りょうこ
ワシなんか、失敗しても、
「♪足利ある、足利ある、足利あ〜る〜さ〜♪」
という歌をうたって、自分をはげましてますゾイ。
伊塚光五郎
ハゲ増す」のは、アンタの頭だけでじゅうぶんやねん・・・・・
赤字屋サバ


今回の結論

「なぜ歴史を勉強するのか?」
それは失敗を繰り返さないために「歴史に学ぶ」。
ということです。

たとえば成績があがらなくて悩んでいるとき、
あなたはどうしますか?
そんなとき坂本龍馬なら、友達いっぱい集めて勉強会を開くでしょう。
織田信長なら、成績のいい友達としかつきあわないようにするかもしれません。
坂本龍馬式、織田信長式、いずれを選んでも、
おそらく成績はあがるでしょう。
一番悪い選択は、「一人で悩んで何もしないこと」です。
悩みを解決するために行動をおこす、
その行動方法を歴史から学ぶ、ということが大切なのです。

歴史には成功者・失敗者がいっぱいいます。
自分が壁にぶつかったとき、
「歴史にはこんな人物がいて、その時こんな選択をして成功した、あるいは失敗した」
ということを知っていれば、
おのずとその人物を自分にあてはめて、
じゃあ自分はどうしたらいいのか、がわかってくるはずです。

決して受験勉強のためだけに歴史を勉強するわけじゃないんですよ!!

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