日本史・That's雑談
第十回 主題 おおざっぱ仏教解説
| 今回は「仏教」というものについて解説したいと思います。 みなさんは仏教というとどういうイメージですか? |
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| ひのもとあや | |||||
| お葬式とか・・・法事とか・・・ あ、あとオバケの除霊!! |
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| りょうこ | |||||
| 本当にあった怖い話!! あの手の話は本当に怖いですのう。 でもワシ、怖いもの見たさで、 見たり聞いたりしてしまうんでござるヨ。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| アンタの好きな話を聞いとるんちゃうねん!! あや先生は仏教について聞いとるんやろが!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| まあ、一般的な仏教のイメージは、 だいたいそんなところでしょうね。 でも、それらのイメージすべては、 本来の仏教とは全然関係ないものです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| あや先生は幽霊を信じないんですかな? | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| 信じるとか信じないとかじゃなくて、 幽霊なんてものは、 本来の仏教では「存在しないもの」なんです。 それについてはまたあとで詳しく説明しますが、 「本来の仏教」というのはこれ以降、 紀元前五世紀頃のインドで、 「お釈迦さま」が始めた頃の仏教をさします。 |
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| ひのもとあや | |||||
| じゃ、仏教ってなんなんですか? | |||||
| りょうこ | |||||
| それをこれからおおざっぱに解説したいと思います。 一口に「仏教」といっても、 1.インドでお釈迦さまが始めた仏教 2.お釈迦さまが死んで、その弟子が考えた仏教 3.中国に伝わって変化した仏教 4.さらに日本に伝わって変化した仏教 5.日本の中で変化していった仏教 と、大きく五つにわけられます。 全部解説することはできませんので、 今回はこのうち1.4.5.番を中心に話を進めます。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 1.インドでお釈迦さまが始めた仏教 お釈迦さまの予備知識 今から2500年くらい前のインドの人。本名はゴータマ・シッダルタ。 釈迦族(この釈迦がお釈迦さまの語源になっている)という種族に生まれ、 お釈迦さまはこの釈迦族の王子様だった。 結婚もし、子供もいたが、 ある日突然すべてを捨てて出家し、 はげしい修行の末にさとりを開き、ブッダ(目覚めた人)となる。 その後インド各地をまわって自分の教えを広めるが、 病気になってクシナガラという所で亡くなる。 |
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| お釈迦さまというのは、 昔々のインドに実在した人で、 この人が始めた教えを、のちに「仏教」と呼ぶようになります。 |
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| ひのもとあや | |||||
| お釈迦さまの始めた教えって、 どんなもんだったんですか? |
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| りょうこ | |||||
| 一言で言うと、 「苦しみからのがれるにはどうしたらいいか」 という教えですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 「苦しみ」、言うんは、 「四苦八苦(しくはっく)」のことやねん。 詳しゅう説明せんけど、 要するに病気とか死とか年とったりとか、 好きな人との別れとかストレスたまるとか・・・ そういった苦しみのこっちゃねん。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| ワシの苦しみは、 傑作ギャグを披露しても、誰も認めてくれないことですゾイ。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| そんなん苦しみちゃうワイ!! くだらないギャグ聞かされるワイらのほうが、 よっぽど苦しみやねん!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| とにかくそういった苦しみからのがれる方法を、 お釈迦さまは教えたんです。 どういう方法かというと、 「欲望を捨て去ることで苦しみも捨て去る」ということですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| え? それってどういうこと? |
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| りょうこ | |||||
| つまりな、 苦しみを感じるのは、 「楽しく生きたい」とか「年取りたくない」とか、 「病気になりたくない」とか「死にたくない」とか、 「好きな人と別れたくない」とか「イヤなやつと会いたくない」とか、 その他もろもろの欲望が満たされないからやねん。 この欲望をぜーんぶ捨て去れば、 苦しみを感じることもないちゅう理屈やろ? つまりこれが「欲望を捨て去ることで苦しみも捨て去る」、 ちゅう方法なんや。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| そうは言ってもワシ、 イヤなやつと会いたくない、という欲望は、 捨て去ることができないのですが・・・どうですかの?サバ教頭? |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 「イヤなやつ」てのはワイのことかい!? アンタと会いたくない、いう欲望ならワイの方が強いわ!! そんでな、さっきワイが言った、 「欲望を捨て去ることで苦しみも捨て去る」ちゅう方法は、 言うのは簡単やけど、誰にでもできるこっちゃないねん!! お釈迦さまのようなエラいお坊さんやからできることやねん!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| サバ教頭の言うとおりですね。 お釈迦さまの仏教の教えというのは、 言うのは簡単なんですが、実行は難しいんです。 ですから、だれにでもわかる教えではなかったんですね。 ちなみに「欲望を捨て去ることで苦しみも捨て去」った状態を、 「さとりをひらいた」あるいは「さとった」と言います。 |
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| ひのもとあや | |||||
| まあ確かに、欲望を全部捨て去ることができる人というのは、 ワシの知ってる限りでは一人もいませんな。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| アンタの周りは、欲望のかたまりみたいな人ばっかやもんな。 それはともかく、お釈迦さまの仏教は、 お釈迦さまみたいな天才だけがわかるもので、 誰にでも実行でけるもんやなかったし、 誰にでも理解でけるもんやなかった、 ちゅうこっちゃ。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 普通の人が、 お釈迦さまみたいな天才になれると思ったんですかね。 |
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| りょうこ | |||||
| そのへんはお釈迦さまに聞いてみたいところですね。 とにかくこうしてお釈迦さまは、 仏教の教えを話してまわっている途中で亡くなってしまうんですが、 そのお弟子さんたちのほとんどは、 お釈迦さまの教えが正しく理解できなかったため、 それぞれ自己流で仏教の教えを伝えていくことになるんです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| そのそれぞれ自己流の仏教が、 インドから中国に伝わり、日本にも伝わってくんねや。 なにしろ自己流で伝わってくるから、 日本に伝わった時点で、 本来の仏教の教えとずいぶん違うてしもとんねん。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 伝言ゲームで、 お釈迦さま→おさかさま→大阪さま→大阪かさま→大阪さかさま、 と変化してしまうようなものですな。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 違うワイ!! ・・・でもちょい似とるかも。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 皮肉なことに、変化していったおかげで、 本来わかりにくかった仏教がわかりやすくなり、 中国や日本でさかんになっていきました。 消え去ってもおかしくない教えが、 現在まで「仏教」という形でのこっているのは、 この「変化した」という点が大きいのです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 仏教が「おシャカ」にならなくてよかったですな。 | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| やかまし!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| さあ、ではつぎはその「仏教の変化」を、 日本に伝わってきたへんから解説しましょう。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 4.さらに日本に伝わって変化した仏教 日本伝来時の仏教の予備知識 仏教が日本に伝わったのは538年(諸説あり)とされる。 百済の王様から日本の欽明天皇に、 金色の仏像が贈られたのが始まりで、 天皇はこの仏像をどうしたらいいかわからず、 家来の蘇我稲目(そがのいなめ)に渡し、おがませた。 仏教の本質が伝わらないまま、 のちに聖徳太子をはじめ権力者は、 政治に仏教を利用するようになる。 752年には聖武天皇が奈良の大仏を造って鎮護国家を宣言。 |
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| 最初日本に伝わってきたのは、 「仏教」ではなく「仏像」でした。 ですから時の欽明天皇や蘇我稲目は、 仏教の本質がわからず、ただ仏像をおがんでいたんです。 おがむ、ということはつまり、 仏教に「厄除け」とか「家内安全」みたいなものを、 期待したんですね。 この時点ですでに、 お釈迦様の始めた仏教とは、 全然違っていることを知っておいてください。 |
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| ひのもとあや | |||||
| おがんで「厄除け」とか「家内安全」じゃ、 神社と変わりないよね。 「欲望を捨て去ることで苦しみも捨て去る」という、 お釈迦さまの教えとは全然違うね。 |
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| りょうこ | |||||
| そうですね。 この日本的な仏教は、 奈良時代の聖武天皇によって、 さらに「家内安全」から「国家安全(鎮護国家)」にまで、 ご利益の対象がひろげられます。 |
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| ひのもとあや | |||||
| つまり聖武天皇による、 「奈良、東大寺の大仏」や「国分寺・国分尼寺」の建設やね。 この国家予算たっぷり使ったプロジェクトで、 日本の仏教は「政治が利用する宗教」になってまう。 坊さんは今で言う国家公務員のようなモンになり、 ええとこのおぼっちゃまだけが坊さんになることが許されて、 東大寺や興福寺で仏教を勉強することがでけたねん。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 奈良時代のおぼっちゃまは、 「今年こそ東大寺に合格するぞ!!」 を合言葉に受験勉強にはげんだとか。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 何でやねん!! 当時受験勉強なんぞ、ないわ!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| こうして奈良時代は仏教と政治が結びついていたんですが、 あまりに結びつきすぎて、 お坊さんが政治に口出しばかりするようになりました。 そこでこういったやり方を嫌った天皇の出現によって、 日本の仏教は変化させられることになりました。 次はその「日本の中で変化していった仏教」を、 解説していきましょう。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 5.日本の中で変化していった仏教 日本独特の仏教の予備知識 794年 桓武天皇、平安京に遷都 最澄の天台宗を保護、比叡山延暦寺をつくる 嵯峨天皇が空海の真言宗を保護 空海が高野山に金剛峰寺をつくる 平安末期が末法の世とされ、浄土(阿弥陀)信仰がさかんになる 鎌倉時代に新仏教できる 浄土宗(法然) 臨済宗(栄西) 浄土真宗(親鸞) 曹洞宗(道元) 日蓮宗(日蓮) 時宗(一遍) 室町時代に上記の鎌倉仏教が教団化する 江戸時代、各宗派がそれぞれ檀家を持ち、 寺が戸籍を担当する →信者獲得の必要がなくなり、お寺が冠婚葬祭担当になる 明治時代、神仏分離令により廃仏毀釈おこる 信仰の自由が認められ、現在にいたる |
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| 桓武天皇は、 お坊さんが政治に口出しばかりするのをいやがりました。 そこでお坊さんたちから逃げるために都を移しました。 これが794年の平安京遷都です。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| で、ちょうどその頃、 「日本の仏教は本来の仏教と違うんちゃうやろか?」 と気付いた坊さんが二人、出てきよったねん。 それが最澄と空海、いう二人や。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| よく気が付きましたね。 ・・・って言うか、ここまで違いに気が付かないまま、 「仏教です」って言ってたのも、 ある意味すごいかも。 |
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| りょうこ | ||||||
| そこで最澄と空海は、本来の仏教を勉強するため、 遣唐使船に乗って中国に勉強に行ったんです。 しかし中国の仏教自体も、 本来の仏教とは違っているのに二人は気付かず、 それぞれが「これは正しい」と思う仏教を勉強しました。 そして日本に帰って、 最澄は天台宗を、空海は真言宗を始めることになります。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| ワシも「空最(くうさい)」と名を変えて、 「わきが宗」を始めましたぞ。 くうさいわきがしゅう!!なんちゃって!! ふぉふぉふぉ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| アンタは黙っとれ!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 天台宗と真言宗って、 どんな教えなんですか? |
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| りょうこ | ||||||
| 天台宗というのは、 本に書かれている教え(顕教)をよく読んで、 仏教の勉強をしなさい、 というような教えです。 「仏教研究所」という性格の宗教ですね。 それに対して真言宗は、 本には書かれてない教え(密教)をつかむため、 修行をして仏の声を聞きなさい、 というような教えです。 「仏教修行道場」という性格の宗教です。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 真言宗は本に頼らんかったおかげで、 空海が完成させた修行方法そのままが、 代々受け継がれて、 「真言宗」というかたちで現代まで続いてまんねん。 ところが天台宗のほうはな、 最澄が中国から持って帰った本を整理しきれず、 「天台宗」いうものを完成させずに死んでもうたもんで、 弟子たちが本の整理を引き継いだんや。 ほいだら弟子たちが、 本の内容をそれぞれ自己流で解釈しよったもんで、 「天台宗」からいろいろな新しい宗教が、 枝分かれしよったねん。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| お釈迦さまが死んだ時に、 弟子たちが自己流で仏教の教えを伝えていきましたよね。 それと同じようなことが天台宗におこったわけですね? |
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| りょうこ | ||||||
| そうです。 | ||||||
| ひのもとあや | ||||||
| ワシの「わきが宗」からも、「体宗」「口宗」「悪宗」など、 枝分かれしなければいいですがのう・・・ |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| だからアンタは黙っとき!! っちゅうの!! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| そして平安末期には、 仏教の教えが効かなくなる世の中になる(末法思想)、 というウワサが信じられました。 そこで人々(主に公家)は仏教の教えが効かなくなる前に、 天国(極楽浄土)に連れていってもらおう、と考えて、 極楽浄土を連想させる建物などを造ったりしました(観想念仏)。 この考えを浄土信仰と言います。 浄土信仰も、天台宗から枝分かれした考え方ですね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| そして浄土信仰をきっかけに、 鎌倉時代にはいろんな新宗教が、 天台宗から枝分かれしていきまんのや。 浄土宗(法然) 臨済宗(栄西) 浄土真宗(親鸞) 曹洞宗(道元) 日蓮宗(日蓮) 時宗(一遍) ・・・・・・ |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| それぞれの宗派についての詳しい説明は、 またあとでしますので、話を先に進めます。 鎌倉時代におこったこれらの新宗教は、 室町時代になって教団になっていきます。 教団というのは、組織ですね。 教祖がほそぼそと教えてまわっていたそれぞれの仏教を、 弟子たちが仲間を集めて組織にして、 リーダーとかサブリーダーとか中心に、 布教(または折伏)していったんです。 この段階で初めて、日本の仏教は政治からはなれて、 庶民の仏教になっていったと言えます。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 戦国時代になると、 この宗教教団が守護大名を倒して、 教団が政治をおこなっていたところなんかもあったねん。 (加賀国) つまり宗教教団が戦国大名なみの力を持っていた、 ちゅうこっちゃね。 織田信長に抵抗した本願寺なんか、有名な宗教教団や。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 仏教が庶民のものになったとたん、 過激な宗教になってしまった、ということですね。 イスラム教などをみればわかるように、 宗教というのは本来過激なものなんです。 自分たちの信じる宗教と違う宗教があっても、 それぞれが「自分だけが正しい」と主張するため、 そこにケンカや口論がおきるのは当たり前なのです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| でも、今の日本の仏教は全然過激じゃないよね。 宗派が違っても、同じようにお経あげてるし、 違いなんて全然わかんないくらいで。 |
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| りょうこ | ||||||
| それはな、徳川幕府のせいやねん。 徳川幕府がそんなふうにしてしもたねん。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 戦国時代が終わった時、 徳川幕府は宗教教団の力をおそれて、 「庶民の仏教」を、 ふたたび「政治の仏教」に戻してしまったんです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 具体的にどうやったんですかな? | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| 布教(折伏)ができないように、 檀家(だんか)制度ゆうもんを作りよったねん。 檀家制度、ゆうんはつまり、 一つのお寺があったら、 その近所に住んどるモンほとんどが、 みーんなそのお寺の宗派に所属することや。 で、この檀家の寄付(お布施)などで、 寺の経営を成り立たせんねん。 檀家がピシッと決まっとったら、 布教して信者増やさなくてもエエやろ? |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| なんか一見よさそうだけど、 それって檀家のほうの信仰の自由はないですよね? 無理矢理お寺の宗派に所属させられちゃうんだもん。 |
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| りょうこ | ||||||
| それがつまり「政治の仏教」ということなんですね。 「信仰の自由」をなくして、 過激な宗教を廃止しようとしたんでしょうね。 そして檀家制度によって徳川幕府は、 お寺に檀家の人数を把握するよう命令しました。 人口が増えたり減ったりするのを把握しておけば、 年貢もしっかり取れますからね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| そのためにお寺の坊さんは、 檀家の葬式にはかならず参加したねん。 なんたって人が死んだら人口が減るやろ? せやからホンマに死んだんか確認せなアカンねん。 ほんで坊さんが葬式に参加するだけ、ちゅうのもナンやから、 お経あげるようになったねん。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| そうなんですか。 | ||||||
| りょうこ | ||||||
| とにかくそういうわけで、 江戸時代初期に仏教は檀家制度によって衰退し、 それは今でも続いていると言えます。 みなさんは今でも「私は無宗教だけど、家は臨済宗です」 なんて言ったりするでしょう? それはこの時の檀家制度のなごりなんですね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| ワシの家は家族全員「わきが宗」ですぞ。 | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| ちゃんと風呂入って、 わき、洗えや!! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 檀家制度による「政治の仏教」は、 徳川幕府の滅亡で終わりを告げ、 明治時代には廃仏毀釈などの混乱が多少あったものの、 やっと信仰の自由が認められます。 しかし庶民は、長い間の檀家制度に慣れてしまっていて、 日本人の多くが新しく信仰を始めようとはせず、 今でも「無宗教です」という人が多い、 という状態が続いてしまっています。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 「無宗教」なんは個人の自由やけど、 「宗教に無知」なんは困るわな。 今回、おおざっぱに仏教の解説なんぞしよるんも、 少しでも仏教の知識ぐらいは持っといてもらいたい、 いう気持ちからきてまんねや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| さあ、それでは次に、 各宗派の解説をしていきたいと思います。 かなりおおざっぱですので、 細かい部分は違うこともあるかもしれません。 しかし誤解をおそれず、いってみましょう!! |
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| ひのもとあや | ||||||
| 阿弥陀さまをおがむ派 浄土宗(法然) 浄土真宗(親鸞) 時宗(一遍) |
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| 最初は浄土宗、浄土真宗、時宗などの、 「阿弥陀(あみだ)さまをおがむ派」の解説をします。 これらの宗派に共通しているのは、 「死んだあと阿弥陀さまに、 極楽浄土に連れて行ってもらうことを目的としている」 ということです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 阿弥陀さまって何? 極楽浄土って何? |
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| りょうこ | |||||
| 「あみだ」っていうのは「くじ」・・・・・・ | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| ちょい待ち! アンタが何言おうとしよるんかは大体わかんねん。 だからもうそれ以上言わなくてもエエわ。 「阿弥陀様」ちゅうんは、 お釈迦さまとは別のブッダ(仏)で、 自分だけさとりをひらいてそれでよし、 ちゅうお釈迦さまと違うて、 この阿弥陀さまはさとりをひらけない人も、 さとった人と同じように苦しみを取り除いてあげましょう、 と言うてまんねん。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| ずいぶん親切な仏さまですね。 阿弥陀さまって。 |
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| りょうこ | |||||
| そうですね。 本来の仏教は、 「欲望を捨て去ることで苦しみも捨て去る」 のが目的でしたよね。 ところがこの阿弥陀さまは、 「欲望を捨て去らない人でも、 苦しみを取り除いてあげますよ」と言っているんです。 われわれから見たらこんな楽な事はないですよね。 で、「苦しみが取り除かれた場所」が、 「極楽浄土」なんです。 「浄土」とは「キレイな場所」という意味ですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| この「極楽浄土」ていうんは、 死んだあとに行く場所のことやねん。 とにかく阿弥陀さまにお願いすれば、 死んでからこの極楽浄土に行ける、ちゅうんで、 あれこれ考えるのがめんどっちい人たちに大受けしたんや。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| で、それぞれの宗派の違いは、 阿弥陀さまへのお願いの方法にあるんですね。 浄土宗では「南無阿弥陀仏(偉大なる阿弥陀さま)」と、 何度も何度もお願いしますし、 浄土真宗では、 「南無阿弥陀仏」を言っても言わなくてもどっちでもよくて、 とにかく心の中でひたすら阿弥陀さまにお願いするだけだし、 時宗にいたってはお願いも何もしなくて、 阿弥陀さまが極楽浄土に連れて行ってくれることを、 ひたすら踊って喜ぶだけなんです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| ワシの好みとしては、 ひたすら踊って喜ぶだけの「時宗」がいいですのう。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| アンタの好みなんぞ聞いてへんわ!! 「時宗」はな、あまりに何もしなさすぎて、 今はすたれてしもうたねん。 やっぱさすがになんもせんのはみんなも気が引けて、 「南無阿弥陀仏」でもなんでも、 何か口に出してお願いしとかんと、 落ちつかんかったんやろね。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| それにしても「南無阿弥陀仏」だけで、 私みたいないいかげんな人間も極楽浄土に行けちゃうなんて、 なんか悪いみたい・・・・・・ |
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| りょうこ | |||||
| 浄土真宗の親鸞(しんらん)という人は、 「いい人が極楽浄土に行けるんだから、悪人だって行ける、 間違いない(善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや)」 と言ってます。 要するに、阿弥陀さまの力(他力)で、 極楽浄土に連れて行ってもらう(本願)のが、 「阿弥陀さまをおがむ派」だ、ということです。 このさとりのひらきかたを、「他力本願」と言ったりします。 「他力」に対して、「自力を主張する派」もあります。 次はそちらを解説しましょう。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 自力を主張する派 臨済宗(栄西) 曹洞宗(道元) |
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| 「自力を主張する派」というのは、 要するに自分の力で欲望を捨て去ることでさとりをひらく、 という考えの宗派です。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| なんか、 お釈迦さまの始めた本来の仏教と同じ考え方みたい。 |
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| りょうこ | ||||||
| まさにそうですね。 曹洞宗の道元は、 「自分こそお釈迦さまの本当の教えを受け継ぐ者だ!」 と考えていました。 で、お釈迦さまは、 「さとりをひらく方法」を教えてくれていなかったため、 弟子たちは自己流の方法で、 「さとりをひらく方法」を考えました。 その方法の一つが「座禅」というものです。 「自力を主張する派」は、 この「座禅」をしてさとりをひらくのを目的としています。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 座禅って、足がしびれるから、 ワシ、嫌いですのう・・・・・・ |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| だからアンタの好き嫌いなんぞ聞いとらん、ちゅうの!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 臨済宗も曹洞宗もともに座禅を組むことはかわらず、 覚えなくてはいけないほどの大きな違いもないので、 この二つの宗派についてはこのくらいにしましょう。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 日蓮宗(日蓮) | |||||
| それから教科書などにはもう一つの宗派、 日蓮宗(法華宗)が出てきます。 日蓮宗というのは、 今みなさんが生きているこの世を極楽浄土にできる、 と教えています。 つまり日蓮宗によると、生きているうちに、 極楽浄土に住むことができるようになるわけですが、 ただしそれには、 この世を極楽浄土にするための努力をしなくてはいけません。 その努力というのが、「法華経」ひたすら信じて、 信じるだけでなく、「法華経」をみんなに教えることなのです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| まあ確かに今まで聞いた話は、 どの宗派もだいたい、死んでから先の話ばかりですよね。 日蓮宗は生きているうちの話なんですね。 |
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| りょうこ | |||||
| まあ、おおざっぱですが、 そう考えていいでしょうね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 「法華経」って、春になると鳴く、あの鳥ですな。 | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| そりゃウグイスやがな!! 「法華経」は正確には「妙法蓮華経」、言うねん。 法華経の特色はな、さっき出た「この世を極楽浄土にできる」 ちゅうんと、もう一つは、 「女の人もさとりをひらける(女人救済)」やねん。 日蓮宗だけが、女人救済を言ってまんねん。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| え!? ということは、これまでの他の宗派では、 女の人はさとりをひらけなかったの!? それって女性差別じゃない!? |
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| りょうこ | |||||
| 女性差別と言われればそれまでなんですが、 女の人がさとりをひらけるかどうかについては、 ハッキリしてない宗派が多いんですね。 それにくらべると法華経には、 ハッキリ女人救済が書いてあります。 その点が他の宗派と違う点ですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 法華経に「オヤジ救済」は書いてないんですかのう? | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| ないわ!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
まとめ |
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| さて、長々と仏教について語ってきましたが、 何か質問はありませんか? |
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| ひのもとあや | |||||
| あの、最初のほうで、 「幽霊なんてものは本来の仏教では存在しないもの」 って言ってましたけど、 この説明がなかったんですが・・・ |
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| りょうこ | |||||
| ああ、そうでしたね。 それでは私からりょうこさんに質問しますが、 いままでの話の中で、 幽霊が出てくるような話がありましたか? |
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| ひのもとあや | |||||
| う〜ん、そういえばなかったような・・・ でも、「死んでから極楽浄土に行く」って、 あれ、幽霊が行くんじゃないんですか? |
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| りょうこ | |||||
| そう思うのも無理はありませんが、 仏教では極楽浄土に行くのは「識(しき)」である、 といっています。 じゃあ「識」は「幽霊」じゃないのか、 と聞かれると困るんですが・・・ 要するに「幽霊」は人間の形や意識などを残しているけど、 「識」は「無」に近いもの・・・ということでしょうね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 5969(極楽)×0(霊)=0(無) これが識(式)の答えだ! |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| やかましいわい!! 5969(極楽)て、苦しすぎやろ!? |
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| 赤字屋サバ | |||||
| ま、とにかく、幽霊なんていない、ってことですね? テレビで心霊写真なんか見ても、 怖がらなくってもいい、ってことですね? |
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| りょうこ | |||||
| あくまで仏教を信仰していれば、ですけどね。 幽霊なんてのは、いると思っている人にとってはいるし、 いないと思っている人にはいないんです。 そんなもんなんですよ。 他に質問はありませんか? |
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| ひのもとあや | |||||
| はいはいはい!! ワシ、「わきが宗」の教祖なんでござるが、 極楽浄土に行けますかのう? |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| アンタは地獄に直行やて!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| それでは「校長は地獄落ち」というオチがついたので、 今回のテーマ「おおざっぱ仏教解説」は、 このへんで終わりにします。 またねっ!! |
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| ひのもとあや | |||||
今回の結論 仏教とは、結論から言うと、 「解脱(げだつ)して仏(ほとけ)になる」ことを目的とした宗教です。 人間は「輪廻転生」といって、 死んでからも何か生物に生まれ変わり(人間に生まれ変わるとは限らない)、 永久に生まれ変わりつづける、とされています。 「生まれ変わりつづけること」は苦痛であり、 その苦痛から逃れるためには、 輪廻転生のサイクルからはずれなければなりません。 その輪廻転生のサイクルからはずれることを「解脱」といい、 解脱したあと人間は「極楽浄土」に行き、 そこで仏になれる、というのです。 そこまではお釈迦さまも教えてくれたのですが、 さあ、それでは解脱するにはどうしたらいいか・・・ その点をお釈迦さまは、はっきりと教えてくれていません。 そこで色々な人たちが、解脱の方法を自己流で考えていったのです。 ここに仏教が色々枝分かれしてしまった原因があります。 要するに解脱が目的なんだから、 「えらい仏(阿弥陀)にフリーパスみたいなものもらって、 簡単に解脱しちゃいましょ」 というのが「他力で解脱する」方法。 「いや、あくまで自分の力でパスを手に入れる」 というのが「自力で解脱する」方法。 その他にも色々解脱の方法が考え出され、 「これ」という確実な方法が見つからないまま現在にいたっているのが、 現代の仏教なのです。 確実な方法が見つかっていないのですから、 仏教の本質が理解しにくいのも無理はありませんね。 とにかく宗教というものは難しくて、簡単には解説できません。 今回はそこをあえておおざっぱながら解説してみました。 中には本質を突いてない部分もあるかと思いますが、 興味を持った方はそれぞれ自分で調べてみてください。 なお、今回の解説で、 特定の宗教団体を非難する文章はいっさい書いていないつもりですが、 教義などで違っている部分があるかもしれませんので、 おこられる前に先に謝っておきます。ゴメンナサイm(_ _)m |
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