日本史・That's雑談
第12回 主題 
逆境をバネに変える
〜徳川家康〜


最近キレやすい人がふえてるらしいですね。
ひのもとあや
らしいですのう。
ワシのように
ちょっとのことは大目に見る、くらいの広い心で、
ガマン強く生きていってほしいもんですな。
伊塚光五郎
アンタがそんなガマン強いとは思えへんけど。
赤字屋サバ
何を言ってるんですかな!?
ワシほどガマン強い人間はいないんですぞ!
いいかげんな事を言うといくらガマン強いワシでも、
キレますぞ!!
伊塚光五郎
全然、ガマン強くないやないかい・・・
赤字屋サバ
たぶんキレる人って、
自分の思い通りにならないからとか、
そういう理由でキレちゃうんでしょうね。
りょうこ
でしょうね。
でも「自分の思い通りにならない」ことなんて、
世の中にはいっぱいあるんだから、
そんなことでいちいちキレてる人は、
誰からも相手にされなくなりますね。
ひのもとあや
で、今回は何の話なんでっか?
あや先生?
赤字屋サバ
すぐにキレないガマン強さを、
ワシの話から学ぶとか?
伊塚光五郎
やかましわ!!
赤字屋サバ
「自分の思い通りにならない」ことを、
「自分の思い通りに変えていく」ことができた人・・・
つまり逆境をバネに変えることができた人を、
今回の主題として取り上げたいと思います。
ひのもとあや
そんな人いるんですか?
誰?
りょうこ
ワシのことですな。
伊塚光五郎
アンタが口はさむとワイまでキレそうになるわ!!
赤字屋サバ
その人物とは徳川家康です。
家康の「逆境をバネに変える人生」をテーマに、
今回は話し合いたいと思います。
ひのもとあや

1歳

6歳



8歳



19歳


20歳


21歳
三河(今の愛知県)に生まれる

隣国の今川義元に預けられることになったが、
途中織田信秀(信長の父)に誘拐される。
(実質的な人質)

父親がケライに殺される。
いろんな事情があり、
織田家から今川義元のところに身柄を移す

桶狭間の戦いで今川義元が殺され、
やっと大名として独立

一安心したのもつかの間、
織田信長の恐怖にさらされる

信長と同盟を結ぶ

上は徳川家康の1〜21歳までの年表です。
この表でわかるように家康は、
成人になるまで人質生活を送っていました。
ひのもとあや
人質って・・・
両親と一緒に暮らせなかったんですか?
りょうこ
家康の生きた戦国時代、
小さい大名の子供は、
大きい大名のところに人質に行かされるケースが、
けっこうあったんや。
「あなた様にはさからいません」ちゅう意味でな。
赤字屋サバ
女王様とドレイの関係か・・・
伊塚光五郎
なに、ぶつぶつつぶやいてんねん!!
赤字屋サバ
でも家康はこの人質生活という逆境を逆に利用して、
自分自身をみがいていったのです。
ひのもとあや
人質になっとった今川家、いうんはな、
教養の高い家で、教育者やら本やらが充実しとったねん。
家康はそれらをちゃっかりと利用して、
人質時代にいろんな勉強やら体の鍛錬やらしとったんや。
もし人質になっとらんかったら、
家康はただの「バカ殿様」で終わっとったかもしらんね。
赤字屋サバ
なるほど。
人質という逆境をバネに変えたってことですね。
りょうこ
ワシも誰か人質にとってくれたら、
バネに変えるんですがのう・・・
伊塚光五郎
誰がとるか!!
赤字屋サバ
そして人質になっていた今川家の当主、今川義元が、
桶狭間の戦い」で殺されてしまい、
家康の人質生活は終わりをつげます。
しかしホッとしたのもつかの間、
今度は織田信長という、
魔王のような大名の恐怖にさらされます。
ひのもとあや
織田信長って、
「殺してしまえホトトギス」で有名な人ですよね。
信長が敵になったんですか?
りょうこ
せやね。
今まで今川家の下についとった関係で、
織田家とは敵になった、ちゅうこっちゃ。
赤字屋サバ
でも今川義元が死んだので、
家康は特に今川家についている必要性はなくなった、と感じ、
今度は織田信長と同盟を結ぶんです。
このへんの家康の行動は、カンがするどいと言えますね。
もしずっと信長と敵対してたら、
真っ先に滅ぼされていたに違いないですから。
ひのもとあや
ひょっとしたら、
人質時代に今川家や織田家を、
じっくり観察していたんじゃないんですか?
で、織田家のほうが将来性があると思ったとか・・・
りょうこ
まあそういう可能性もなきにしもあらずでんな。
家康と言う人は、
周りの流れというか、情勢を読むのが得意やったし。
赤字屋サバ
つまりここでも「織田信長」という逆境をバネに変えた、
ってことですね?
りょうこ
バネに変えられて、
織田伸び長、なんちゃって。
伊塚光五郎
全然おもろないわ!!
赤字屋サバ
さあ、それでは信長と同盟した後の家康の行動を、
みてみましょう。
ひのもとあや

23歳


26歳

31歳

38歳

41歳
一向一揆がおこるが無事平定。
ついでに三河も統一

信長の娘と家康の息子(信康)が政略結婚

武田信玄と戦ってボロ負け(三方ケ原の戦い)

信長の命令で長男(信康)と正妻(築山殿)を殺害

本能寺の変で信長死亡。
その時家康は大阪あたりをのんびり見物していたが、
急いで三河に逃げ戻る。
信長の後継者争いで豊臣秀吉が勝ち上がっていくが、
家康はこの争いに加わらずひたすら地盤をかためる

家康が23歳の時、
三河(家康の領地)で、
一向一揆(いっこういっき)がおきていますが、
彼はこれを無事平定し、
それだけでなくこの一揆を利用して、
逆に三河を統一してしまっています。
ひのもとあや
一向一揆って何だったっけ?
りょうこ
つまみ一個で酒を一気のみすることですな。
一個一気!!一個!!一気!!一気!!一揆・・・
伊塚光五郎
アンタ、頼むから口はさまんといてや・・・
赤字屋サバ
一向宗という仏教の宗派があるんですが、
その宗派がおこした一揆のことですね。
家康はこの一揆を平定した時に、
その一揆に加わった自分のケライを許して、
再び自分のケライとして重要な役職につけました

ケライは感激して、前よりいっそう働き、
三河統一のために役立った
のです。
ひのもとあや
ここでも家康は一向一揆という逆境をバネに変えて、
三河を統一してもうた、っちゅうわけや。
赤字屋サバ
統一されて、
三河屋のサブちゃんは喜んでおりますな。
伊塚光五郎
「サザエさん」の三河屋とは関係ないわ!!
てか、あっちは別に統一される必要ないし!!
赤字屋サバ
サザエさんっていつの間にか声優が変わってるよね。
ワカメちゃんとか・・・
りょうこ
はいはい、話を脱線させないでくださいね。
三河を統一した家康は、
信長の娘を長男の嫁にもらいました。
これで織田家と親戚になり、バンバンザイだったのですが、
その後、家康生涯最大のピンチが訪れます。
なんとあの戦国最強と言われた、
武田信玄と戦うことになってしまったのです。
ひのもとあや
この頃の武田信玄はな、
家康のことなんぞ相手にもしとらんかったんや。
で、家康を無視して堂々と三河を通過し、
京都に攻め上ろうとしてた・・・
家康はこのまま信玄を通過させてしもたら、
自分の武将としてのメンツが丸つぶれや、
ちゅうんで、信玄に戦いをいどんだねん(三方ケ原の戦い)。
・・・結果はボロ負け。
家康は「うんち」をもらしながら必死に逃げたらしいワ。
赤字屋サバ
家康はこの敗戦を一生忘れないよう、
この時のミジメな自分を絵にかかせて反省しました。
ひのもとあや
もらした「うんち」も絵にかいたんですかのう?
伊塚光五郎
んなわけないやろ!!
赤字屋サバ
キチャナイ話!!
りょうこ
のちの話ですが、
この時に戦った武田信玄のケライが浪人したとき、
家康はこの浪人たちをいっぱいケライにしました。
自分が負けた相手のケライを採用することによって、
その強さを自分のものにしていった
んですね。
このへんにも、
逆境をバネに変える家康らしいやり方が垣間見えます。
ひのもとあや
自分が負けた相手のケライを使うやなんて、
人間そうでけるこっちゃないデ。
赤字屋サバ
で、三方ケ原の戦いの直後、
その武田信玄が病気で死んでしまいます。
で、ホッとしたのもつかのま、
今度は織田信長が、
家康の妻と息子を殺せ、と言ってきた
のです。
理由は、二人が武田家のスパイだったから、というのです。
ひのもとあや
さすがの家康もこの信長の命令には悩んだらしいデ。
でも結局さからうことができず、妻と息子を殺してもうたんや。
赤字屋サバ
妻はたしかに武田家のスパイだった疑いがあったらしいですけど、
どうやら息子は無実だったらしいんですね。
それはともかく、家康はこれにこりて、
以後正妻をもちませんでした。
家族が権力抗争にまきこまれるとロクなことがない、
というのを身をもって感じたんでしょうね。
ひのもとあや
なんか家康さんってすごいね。
ガマンの人だね。
りょうこ
せやね。
こうして妻と息子を失ったという逆境も、
キチンと教訓として活かしよるわけやからね。
赤字屋サバ
さあ、そしてその命令を出した信長ですが、
今度は自分自身が本能寺の変で殺されてしまいます。
家康はこの時、大阪(堺)を見物していたんですが、
急いで地元三河に逃げ帰りました。
そして織田家の後継者争いに参加せず、
ひたすら地盤をかためることに専念した
のです。
ひのもとあや
つまり信長という同盟者を失ったのは痛かったけど、
むしろそのピンチをチャンスに変えて、
織田家が後継者争いしよるそのスキに、
支配者が空白になっとたトコをぶんどり始めたねん。
悪い言葉で言うと「火事場泥棒」ちゅうやっちゃね。
赤字屋サバ
わあ!ちゃっかりしてるぅ!!
りょうこ
信長は本能寺でうっかり
家康は火事場泥棒でちゃっかり
というわけですな。
伊塚光五郎
わけわからんこと言わんでエエわ!!
赤字屋サバ
信長の死という逆境をむしろバネにして領土を広げた家康・・・
さて、その後はどうなっていくんでしょうか。
ひのもとあや

43歳

45歳


49歳

51・56歳

57歳
信長の息子(信雄)に頼まれて秀吉と戦う(小牧・長久手の戦い)

秀吉の妹や母親が人質にやってきて、
家康が秀吉のケライになる

秀吉の命令でやむなく本拠地を江戸に移す

朝鮮出兵。しかし家康は出陣せず

豊臣秀吉死亡

ひたすら地盤をかためていた家康ですが、
ついに織田家の後継者争いにまきこまれてしまいます。
信長の息子(信雄)に頼まれて、
豊臣秀吉と戦う(小牧・長久手の戦い)ことになった
んですが、
なかなか勝負がつかず、持久戦になってしまいました。
ひのもとあや
豊臣秀吉って、信長のケライだった人だよね。
りょうこ
せや。
この頃すでに秀吉が実質的に信長の後継者になっとったんやけど、
それを面白くないと思った信長の息子(信雄)が、
頼んで家康に見方になってもらって戦っとったんや。
でもな、信長の息子(信雄)が秀吉と仲直りすることによって、
決着はあっさりついてもうた
ねん。
赤字屋サバ
この二人は、
家康がまったく知らないうちに仲直りしちゃったんですね。
家康にしてみれば、頼まれて秀吉と戦ってやってるのに、
信雄が勝手に仲直りしちゃった
わけですから、
ずいぶん腹を立てたと思うんです。
でもそんなことはおくびも出さず家康は、
「仲直りおめでとう」という手紙を秀吉に出して、
あっさり引き上げます。
ひのもとあや
辛抱強いですね、家康さん。
今の若者がこんなことされたら、
すぐキレちゃうでしょうね。
りょうこ
家康の手紙の最後には、
「おめでとう。でもちょっと怒ってま〜す。(○`ε´○)プンプン!!
と書かれてあったとか。
伊塚光五郎
さとう珠緒かい!?
赤字屋サバ
家康はここで腹を立てても、
一文の得にもならないと考えたんでしょう。
以後は地元に帰って、ひたすらまた地盤をかためます。
ひのもとあや
で、秀吉は、また地元に帰ってもうた家康を引っ張り出して、
自分のケライにするために、あれこれ手をうつんや。
赤字屋サバ
キレイなねーちゃんのいる飲み屋に接待したりとか?
伊塚光五郎
んなことで家康がケライになるかい!?
っていうか、飲み屋で接待なんて当時あるかい!?
赤字屋サバ
具体的に秀吉はどんな手をうったんですか?
りょうこ
自分の実の妹や母親を家康のところに人質として送り込んだんですね。
これは当時考えられないことでした。
なにしろ秀吉は家康に負けたわけでもないのに人質を差し出し、
しかもそれが実の妹と娘だったわけですから。
ひのもとあや
実の妹と娘はキレイなねーちゃんだったんですかのう?
伊塚光五郎
知るか!!
で、ここまでされたら家康も、
しかたなく秀吉のケライになる決心すんねん
赤字屋サバ
家康にまたまた逆境がおとずれたわけですね。
りょうこ
そうですね。そしてさらなる逆境が家康をおそいます。
なんと秀吉が、三河(家康の領地)から、
江戸に領地を移せと言ってきた
んです、
ひのもとあや
転勤命令みたいなもんですかのう?
伊塚光五郎
そんな生易しいモンやないわ!!
領地を移す、いうたら、ケライも家族もみんな引き連れて、
全然知らん土地に引っ越す、いうことや。
そんな簡単にでけるこっちゃないがな。
赤字屋サバ
家康は江戸に移ったんですか?
りょうこ
はい。
当時の江戸は湿地帯で、
お世辞にも人がすみやすいとは言えないところでしたが、
家康は黙って江戸に領地を移しました
ひのもとあや
んで、秀吉はさらに家康を逆境につき落とそうとすんねん。
なんと朝鮮に出兵(文禄・慶長の役)しろと言ってきよったねん。
でも家康は「領地替えしたので忙しいから」という理由をつけて、
これを断った
んや。
赤字屋サバ
「領地替えさせられた」という逆境を逆に理由にしたわけですね。
りょうこ
ま、確かに江戸ディズニーランドもつくらなきゃならないし、
江戸タワーもつくらなきゃならないし、忙しかったでしょうな。
伊塚光五郎
やかましわ!!
赤字屋サバ
そうこうしているうちに、秀吉が死んでしまいます。
家康の人生は、
ここまで逆境とそれをバネにする日々が続いていましたが、
この秀吉の死以降、家康に逆境を与える人がいなくなりました。
さあ、そこで家康はどう生きていくのでしょうか。
ひのもとあや

59歳

62歳

73・74歳

75歳
関が原の戦いで大勝利

征夷大将軍になる

大阪夏の陣・冬の陣で豊臣家を滅ぼす

死去

秀吉が死んだあと、豊臣家で内紛がおこりました。
家康はこれを利用して豊臣家の力をそぐ戦いをおこしました。
それが関が原の戦いです。
ひのもとあや
この戦いの掛け声は、
「萌え〜!!」と「ハイ、ご主人様」だったとか
伊塚光五郎
そりゃ「秋葉原の戦い」!!
いや、戦いは付かん、戦いは付かん!!
赤字屋サバ
関が原の戦いって家康がおこしたんですか?
りょうこ
実際おこしたんは、
秀吉のケライやった石田三成ちゅう男やけどな。
赤字屋サバ
石田三成は、
このままでは豊臣家が家康にほろぼされてしまうと考えて、
この戦いをおこしたんです。
ですから本来この戦いは、
豊臣家vs.家康となるはずだったんですね。
それが豊臣家の内紛にされてしまったのは、
家康の巧妙な裏工作のせいなんです
ひのもとあや
つまり豊臣家の石田三成が相手なら、
同じく豊臣家の加藤清正やら福島正則やらを、
自分の味方につけて戦わせたわけや。
赤字屋サバ
石田三成が相手なら、
ワシなら「いしだ壱成」を味方にしますな。
伊塚光五郎
やかまし!!
赤字屋サバ
なんか家康さんってガマンの人から、
急にズルい人になってますね。
りょうこ
そうですね。
この関ヶ原の戦いの後の家康は、
おもいっきり別人のような行動をとっていますね。
これはつまり、今まで家康に逆境を与えていた人が、
みんな死んでしまったから
でしょうね。
ひのもとあや
家康にとって、いよいよバネを伸ばす時がきた、
いうこっちゃね。
赤字屋サバ
ああ、そういうことか。
りょうこ
その後家康は関が原の戦いで勝利し、
大坂冬の陣夏の陣でも勝利します。
そして豊臣家が滅びます
その間に征夷大将軍となり、江戸幕府を開きます
もうこうなると家康には特に逆境というものはなくなりました。
しいて言えば後継者の問題や、
増えすぎたケライなどがおこす問題がありましたが、
もはやそれは逆境と言えるほどのものではありませんね。
家康はそれまで逆境の中で学んできた経験をいかして、
これらの問題をクリアし、
270年も続く平和な政府(江戸幕府)をつくりあげたのです
ひのもとあや
今まで逆境続きだった自分の人生をバネに変えて、
平和な時代をつくったわけですね。
りょうこ
そうです。
で、家康はこの世での仕事を終えて、75歳で大往生します。
ひのもとあや
家康の最大の功績は、
なんといってもエロ幕府をつくって、
世の男性を喜ばせてくれたことですな。
伊塚光五郎
んな幕府あるかいな!!
赤字屋サバ
ということで、
今回は徳川家康の、
逆境をバネに変える人生」を話してみました。
思い通りにならないとすぐにキレる人、
ぜひ家康の生き方を参考にして「勝ち組」になってください。
それでは本日、これまで!!
ひのもとあや


今回の結論

徳川家康の言葉に、
「人生とは重い荷物を背負って坂を登るようなものだ」
というものがあります。
この人の人生はまさにこの言葉にあらわされています。

逆境につぐ逆境人生・・・
でも家康は決してキレず、くさらず、
確実に逆境をバネにして生き残り、
最後は「勝ち組」になりました。

この生き方は現代にも通じると思います。
ちょっとしたことでキレる人は、
いつまでたっても子供ということで、
大人の世界では誰からも信用されません。
信用されないということは、
いわゆる「負け組」になります。

これからの世の中、
家康をみならって生きていったらいいと思います。
逆境をバネに変える人生」が、
生き方のキーワードになっていくかもしれませんね。

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