日本史・That's雑談
第2回 主題 新撰組その1・結成編
| このThat's雑談、 2回目にして早くもテーマにつまってしまい(笑)、 ここはタイムリーな話題に便乗する、ということで、 今回は平成16年の大河ドラマでもある、 「新撰組」を取り上げます。 新撰組とはどういう組織で、 歴史においてどういう存在だったのかを、 みんなで話し合ってほしいと思います。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 漢字を間違ってますぞ、あや先生。 「新撰組」ではなく、「新鮮組」でござろう? |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| それじゃ取れたて野菜やがな!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| タケダがつくってる健康ドリンクのことですよねっ? | ||||||
| りょうこ | ||||||
| そりゃ「C1000(しーせん)」タケダやて! りょうこはんまで一緒にボケてどないすんねん! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 新撰組という字はですね、 「撰」とも「選」とも書いているようですね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| つまりどっちでもいいということですな? それなら「鮮」でもようござろう? |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 「1000」でもいいよねっ!! | ||||||
| りょうこ | ||||||
| ダメです(きっぱり)。 二人がいくらボケたって無駄ですよ。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| エエねえ、あや先生。 そないキッパリ言ってもらえると、 ワイもなんやわからんけど気持ちエエわ。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| ホメても何も出ませんよ。 さあ、それではさっそく、 新撰組の歴史を追ってみましょう。 |
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| ひのもとあや | ||||||
新撰組関係年表その1 1834 近藤勇、多摩郡上石原村(現・調布市)に生まれる 1835 土方歳三、多摩郡石田(現・日野市)に生まれる 1844 沖田総司、多摩郡日野(あるいは阿部豊後守江戸下屋敷)に生まれる? 1848 近藤勇、天然理心流に入門 1852 沖田総司、天然理心流に入門 1859 土方歳三、天然理心流に入門 1860 近藤勇、ツネと結婚 1861 近藤勇、天然理心流四代目を継いで道場を受け継ぐが、 あまり入門者おらず |
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| 上の年表に出てくる人たちは、 のちに新撰組の主力メンバーになる人たちです。 今の東京都多摩地区あたりの出身が多いですね。 天然理心流というのは剣術の流派の名前で、 お百姓さんたちがお稽古に来ることが多かったようですね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 天然ボケ流? | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| そりゃアンタやろ!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 近藤勇は、その天然理心流四代目を継いだんですね。 剣術の先生、ってわけか・・・ちょっとカッコいいかも。 |
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| りょうこ | ||||||
| 天然理心流は、 地元多摩と、江戸牛込・・・・今の新宿区あたりに、 道場を持っていたらしいです。 でも当時はペリー来航なんかによる開国によって、 江戸にはメチャクチャなインフレがおきていたため、 町中にはビンボー人があふれていました。 ですから天然理心流の道場、といっても、 ほとんど入門者はいなかったらしいです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 道場行くならカネをくれ!というわけですな。 | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| それが天然ボケ流や、ちゅうねん!! ところであや先生、 天然理心流の道場に入門者がおらんかったんは、 もう一つ理由があったらしいでんな。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| もう一つの理由? 天然理心流というネーミングが悪かったのかな? 「KUMON」とか「トライ」みたいに、 英語風にしたらよかったかも。 たとえば「TENNEN」とか「リシン」とか・・・ |
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| りょうこ | ||||||
| 「天然理心流でんねん」とか「なに言っ天然理心流」 なんていうふうにウケ狙いでいく、 というのも面白いでござるヨ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| ウケ狙ってどないすんねん! 頼むから話をヘンな方に引っぱらんといてや! 今は、天然理心流の道場に入門者がおらんかった、 もう一つの理由についてやねん! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| そうですね。 そのもう一つの理由は、「コレラ」だと言われています。 当時日本にやってきた外国人にコレラ患者がいて、 そのため「あっ」という間に日本中にコレラが流行りました。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 一説にはこの時のコレラで20万人以上が死んだらしいでんな。 | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| はい。 このコレラ流行で、みんな剣術を習うどころではなくなった、 というのがもう一つの理由と言われてます。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 入門者がいなかったら、 近藤さんたち食べていけないんじゃない? |
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| りょうこ | ||||||
| その通りですね。 その頃天然理心流の道場には、 近藤・土方・沖田の他に、 永倉新八・藤堂平助・山南敬助・原田左之助、 なんていう人たちが、居候みたいに住んでいました。 その人たちを食わせていけなくなってきたわけです。 さあ、そこで近藤勇はどうしたんでしょうね? |
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| ひのもとあや | ||||||
新撰組関係年表その2(月日は旧暦です) |
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| 1863 | 2月4日 2月23日 |
幕府が将軍警護のための浪士を募集しているという話を、 山南敬助が聞きつける 小石川伝通院で行われた将軍警護オーディションに天然理心流の面々が参加 オーディションに全員合格し(^_^;)、天然理心流の道場をたたむ 浪士たち江戸を出発して京都に向かう 宿の手配係だった近藤勇、本庄宿で芹沢鴨(茨城出身)の宿を取り忘れる 芹沢はイヤミったらしく路上でたき火をし、 あやうく本庄宿が火事になる大騒ぎに 浪士たち京都壬生に到着 リーダー役・清川八郎が、 「浪士募集は将軍警護のためでなく、尊皇攘夷のため」と宣言 |
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| この年表を見てわかるとおり、 道場の収入では食べていけなくなった天然理心流の人たちは、 幕府主催の将軍警護オーディションに応募して合格し、 京都に行くことになりました。 そのために道場もたたんでしまったんです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| どうして京都に行くことになったんですか? | ||||||
| りょうこ | ||||||
| オーディションに合格した人たちが、 「大河ドラマ・新撰組」でエキストラ出演することに決まったのでござるよ。 そのために太秦(うずまさ)の「京都映画村」に行った・・・・・・ |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| ウソ教えな!! あんな、将軍(14代徳川家茂)がな、 江戸を出て京都の天皇に会いに行ったんや。 当時の京都はな、天誅ゆうて、人殺しが流行っとってな、 えろう物騒やってん。 つまり浪士たちは、 物騒な京都で将軍の警護するためについて行ったんやがな。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| サバ教頭の言うとおりですね。 「将軍の警護」ということで京都に向かった浪士一行ですけど、 途中「本庄」という宿で、ちょっとした事件が起きてしまいました。 宿の手配係だった近藤勇が、 芹沢鴨(茨城出身)という人の宿を取り忘れてしまったんです。 芹沢はイヤミったらしく路上でたき火をし、 あやうく本庄宿が火事になるという大騒ぎをひきおこします。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 本庄迷惑とはこのことですな。 | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| それを言うなら近所迷惑やろ! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| そういう乱暴な話聞くと、芹沢鴨って人、 なんか好きになれないな〜〜 |
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| りょうこ | ||||||
| この「本庄宿たき火事件」は、 新撰組にとって、あとあとまで影響してきます。 でもそれはのちのお話。 とりあえずその後京都についた浪士たちは、 「壬生(みぶ)」の新徳寺、というところで集合します。 そしてその場で浪士のリーダー役・清河八郎が、 とんでもないことを言い出すんです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 「ちいさい秋みつけた!」と言い出したんですな? | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| そりゃサトウ「ハチロー」やて。 そんなボケ、りょうこはんあたりにはわからしまへんがな。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 「ちいさい秋」って何? 秋に小さいとか大きいとかあるの? |
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| りょうこ | ||||||
| ほら〜〜、案の定、話がヘンな方向に行ってもうたがな。 あや先生、なんとかしたってや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| はいはい、話を元に戻しましょうね。 清河八郎は、こんなことを言い出したんです。 「浪士のみなさんが京都に来たのは、将軍警護のためではなく、 天皇警護のためです!だからみんなで尊皇攘夷をしましょう!」 |
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| ひのもとあや | ||||||
| つまり清河八郎は、人数を集めるんが目的で、 浪士たちと幕府をダマしたんやね。 しゃあから、幕府は清河八郎の話を聞いて、 この浪士たちを、さっさとまた江戸に戻らせるんや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| ダマした、という言い方は清河八郎にとって心外かもしれませんが・・・ まあとにかくそういうことになっても、 「戻れったって、そりゃどうも納得いかない」ということで、 京都に残った人たちがいたんです。 それが近藤勇などの天然理心流の人たちと、 それから「本庄宿たき火事件」の芹沢鴨などです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 天然理心流の人たちは、「残った」というより、 「残るしかなかった」んじゃないですか? だって道場をたたんで江戸を出てきたわけだし・・・・ 京都で道場するにしてもカネがいりますよね? |
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| りょうこ | ||||||
| 「道場するならカネをくれ!」ということですな。 | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| はいはい、もうそれはエエから、 次に進みまひょ、あや先生。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
新撰組関係年表その3(月日は旧暦です) |
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| 1863 | 3月 6月 8月 |
京都に残った近藤・芹沢たち、「京都守護職(松平容保)御預かり」となる →新撰組の誕生 芹沢鴨たち8人、淀川で遊んだ後、相撲取りとケンカ 芹沢鴨、カネを貸してもらえなかったはらいせに、大和屋に大砲を打ち込む 8・18の政変おこり、新撰組も御所の警備に出動 |
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| 京都に残った近藤・芹沢たちは、 とにかく食べていくために、誰かにやとってもらおうとするんです。 そこで目をつけたのが、京都守護職の松平容保。 この人は京都の治安維持のために、 会津(今の福島県)からはるばる京都に来てたんですが、 この京都守護職のところに行って、 自分たちをやとってくれるよう頼むんです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| ・・・・・・で、松平容保は、 このわけわかんない近藤や芹沢みたいな連中でも、 あっさりやとってあげるんや。 まあ、松平容保にとっては、 コイツらに治安維持の最前線に立ってもらって、 危険な仕事をさせればいい、 くらいに思っとったんかもしらんけどな。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| そうですね。 これで京都守護職御預かり、新撰組の誕生です。 ただし、「新撰組」という名前がついたのは、 その後の「8・18の政変」以降のことらしいですが。 |
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| ひのもとあや | |||||
| でもさ、なんか上の年表見てると、 新撰組の人って、「治安維持」というより、 「暴力事件」ばっかり起こしてるような感じもするんだけど・・・ |
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| りょうこ | |||||
| 確かに、相撲取りとケンカしたりとか、 カネを貸してもらえなかったはらいせに大砲を打ち込んだりとか、 どうみても犯罪者としか思えんことしとるわな。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 犯罪を取り締まるには、まず犯罪者の心理を知ること、 ということで犯罪をおかしてみたのでは? |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| んなアホな・・・・・・ | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 年表を見るとわかるんですが、 これらの事件にはだいたい芹沢鴨がからんでいます。 この人は例の「本庄宿たき火事件」で騒動をおこした人です。 近藤や土方などの天然理心流組は、 出来たばっかりの新撰組の人気を上げようと頑張っていたんですが、 芹沢鴨たちは好き勝手なことやって、 新撰組の「悪名」ばっかりを広めていたんですね。 どうしてそんなふうになってしまったのか・・・・ ここでちょっと、新撰組結成当時の近藤ら天然理心流組と、 芹沢鴨ら茨城出身組(以後水戸天狗党組とよぶ)の、 勢力分布図を見てみましょう。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 局長 | − | 副長 | − | 助勤(じょきん) | |
| 芹沢鴨 新見錦 近藤勇 |
山南敬助 土方歳三 |
沖田総司 永倉新八 原田左之助 藤堂平助 井上源三郎 |
平山五郎 野口健司 平間重助 |
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赤字が天然理心流組
青字が水戸天狗党組
その他の隊士は省略
| 「局長」って、一番エラい人? それにしては三人もいるけど・・・・・・ |
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| りょうこ | |||||
| 三人でいいんですゾイ。 鴨は「カッチャン」、錦は「ニッキ」、 そして勇は「ヒガシ」と呼ばれて、 デビューした時はバク転したり、マイクを蹴とばしたりと、 カッコいい歌い方で、 そりゃもう大変な人気だったんでござるヨ。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| そりゃ新撰組やのうて「少年隊」やがな!! それに勇がなんで「ヒガシ」と呼ばれんねん!! 全然そんなん読めへんがな! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| ああ、失礼、失礼。 勇は「シンゴ君」と呼ばれてたんでござった。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| そりゃ平成16年のNHK大河ドラマやて! 同じジャニーズのアイドルやからちゅうて、 ごっちゃにせんといてや! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| はいはいはい、つまらない漫才はそこまで。 上の表で特徴的なのは、りょうこさんの言ったことを含めると、 1.局長が三人いること、しかも水戸天狗党組が多いこと 2.副長は天然理心流組しかいないこと 3.助勤(じょきん)は天然理心流組が多いこと この三点ですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| つまり局長は一人にすると、 どっちの派閥からも不満が出るんで三人にした・・・ ほんで水戸天狗党組をちょい多くすることで、 芹沢のご機嫌をとった・・・ |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 副長が二人とも天然理心流組なのは? | |||||
| りょうこ | |||||
| 副長というのは、 実質的に新撰組を切り盛りする役職なんです。 それを天然理心流組だけで占めることによって、 実際の運営は天然理心流組が行えるようにした、 ということですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 天然理心流組で助勤(じょきん)の役職を多くしとるのも、 同じように実際の運営を天然理心流組で進めよう、 ちゅう意図があったらしいね。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 天然成分で除菌(じょきん)しよう、 という意図もあったらしいですな。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| もうアンタ、黙っといてや、 頼むから・・・・・・ |
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| 赤字屋サバ | |||||
| まあとにかく以上の理由で、 芹沢ら水戸天狗党組は、 実際に新撰組の仕事をすることは少なかったわけですね。 そこで、ヒマをもてあまして、好き勝手にケンカしたりとか、 大砲をぶっぱなしたりとかしてたわけです。 本来、天然理心流組と水戸天狗党組は、 「本庄宿たき火事件」以来、仲が悪いですから、 「ともに仲良く新撰組をもり立てる」なんてことは、 考えもしなかったんじゃないでしょうか。 |
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| ひのもとあや | |||||
| なるほど、そういうふうにつながるわけか・・・・・・・ でも、こんなに仲が悪くて、 新撰組はこれからどうなっていくのかな? |
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| りょうこ | |||||
| 分裂、解散、総選挙ですな。 | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| 連立内閣かいな!新撰組は!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 新撰組がこれからどうなっていくか、については、 また「新撰組その2・京洛編」で語り合うことにしましょう。 今回は長くなってしまったのでここで終わりにします。 それでは本日、これまで!!!! |
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| ひのもとあや | |||||
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沖田総司と歩く“渡辺新選組”の舞台 |