日本史・That's雑談
第四回 主題 
新撰組その3・落日編


前回登場した伊東甲子太郎ですが、
新撰組はこの人が登場したころから、
時代とともに転換期を迎えることになります。
それではさっそく年表から見てみましょう。
ひのもとあや


新撰組関係年表その7(月日は旧暦です)

1866










1867
1月

6月

7月

7月

12月


1月

3月
坂本龍馬などの仲介により薩長同盟成立

第二次長州征伐の戦い始まる

十四代将軍徳川家茂、病没

第二次長州征伐で幕府軍負ける

十五代将軍に徳川慶喜就任
孝明天皇崩御

明治天皇即位

伊東甲子太郎、藤堂平助などを引き連れて新撰組から分離する

上の年表を追っていくと、
新撰組の母体となっている「幕府」という組織が、
だんだん不安定になってきている
ことがわかりますね。
ひのもとあや
幕府もスランプになっていったんでしょうな。
伊塚光五郎
幕府スランプ」ですねっ!!
りょうこ
ふぉふぉふぉ、その通り。
りょうこ殿にオチを言われてしまいましたのう。
伊塚光五郎
二人して何、漫才やっとんねん!!
赤字屋サバ
味方だと思っていた薩摩が、
こっそり長州と手を握ってる
のも知らず、
幕府は長州征伐を実行してしまうんですね。
そしてその途中、
十四代将軍徳川家茂は死んでしまうわ、
長州征伐では負けてしまうわ、
幕府びいきの孝明天皇は死んでしまうわで、
幕府はツキに見放されたかのような出来事が続くんです。
ひのもとあや
んで、この状況を見てな、
例の伊東甲子太郎がな、
さっさと分離してまうねん。
そん時、江戸道場時代から近藤たちの仲間やった、
藤堂平助なども一緒に出ていってもうたんや。
赤字屋サバ
分離した、というのはつまり、
考え方が合わないので、分かれて違う組織を作る
ということだったんですね。
新撰組は幕府の子分だけど、
伊東はもともと尊皇志士に近い意見を持っていましたから、
天皇の子分」になるために分離したんです。
この伊東たちの分離によって新撰組のメンバーに、
動揺する人が増えてきます。
ひのもとあや
動揺するならカネをくれ!
伊塚光五郎
だからそりゃもうエエ、っちゅうの・・・・・
赤字屋サバ
それでその後の幕府と新撰組はどうなっていくんですか?
りょうこ
はい、それはまた年表を見てみましょう。
ひのもとあや


新撰組関係年表その8(月日は旧暦です)

1867 6月


10月

11月
伊東甲子太郎たち、高台寺に移り、高台寺党と呼ばれる
近藤、土方など新撰組のメンバー多くが幕府直参となる

十五代将軍徳川慶喜、政権を朝廷に返し、幕府消滅(大政奉還)

坂本龍馬暗殺、犯人は新撰組だと噂される
伊東甲子太郎、油小路で暗殺
ついでに藤堂平助ら新撰組を分離したメンバー三人も殺害

伊東甲子太郎は分離して、
「高台寺」というところで天皇の子分として活動を始めます。
同じ頃、近藤、土方など新撰組のメンバー多くが、
幕府の直参(じきさん)となっています。
今までの「会津藩お預かり」から、
幕府直轄のケライになったわけですね。
ひのもとあや
ケライ出世しましたな。
伊塚光五郎
ま、出世いうたら出世かもしらんけどな、
直参になったとたん、
十五代将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返してもーて、
幕府そのものが消滅してもうてん(大政奉還)。
せやから直参なんぞになっても、
あんま意味がなくなってもうたんや。
赤字屋サバ
アルバイトから正社員になれたとたん、
会社が倒産したようなものかな?
ヒサンな事態ですねーー。
りょうこ
だいたいはそういう理解でいいんですけど、
この時点では「幕府」はなくなったけど、
「徳川家」はまだ残ってるんです。
ですから新撰組は大政奉還の後に今度は、
「徳川家の直参」になった、ということですね。
ひのもとあや
つまり会社が倒産したので、
今度は社長の家のボディーガードとして、
引き続きやとってもらった、
というようなものやろね。
赤字屋サバ
その場合失業保険とか、
健康保険の問題はどうなるんでしょうなあ?
あと退職金とか社会保険の手続きなんかも・・・・
伊塚光五郎
当時そんな手続きあるかいな!
そんな生々しい疑問、持たんでエエて!!!
赤字屋サバ
でも幕府がなくなってしまって、
新撰組もどうしたらいいか困ったでしょうね。
ただでさえ伊東甲子太郎が分離してみんな動揺してるのに。
りょうこ
そうですね。
そこでとりあえず土方が考えたことは、
新撰組の動揺をしずめること」でした。
そのためには、「局中法度」を破って分離した、
伊東甲子太郎を斬って
新撰組を以前のように「鉄の規律」の組織に戻そう、
と考えたんです。
ひのもとあや
土方は近藤を使って伊東を呼びだし、
酒をぎょうさん飲ませたんやて。
ほんでも伊東は「俺は酔ってへんぞー」言うて、
一人で闇夜を帰ったらしいわ。
赤字屋サバ
そしてその帰り道、飲酒運転でつかまって、
キップきられて、
「俺は酔ってない!
だから酒酔い運転でも、酒気帯び運転でもないぞ!」
と叫んで、おまわりさんにあきれられたとか。
伊塚光五郎
んなアホな・・・・・・・・
赤字屋サバ
おまわりさんが「ハイ、免許見せて」と言って、
伊東の免許をよくよく見たら、免許は免許でも、
北辰一刀流の免許だったとか。
伊塚光五郎
いいかげんにせい!
話がとぎれたやないかい!
ほんでな、酔って帰った伊東を、
土方らが「油小路(あぶらこうじ)」ちゅうとこで待ち伏せして、
ズバッと斬ってしもーたんや。
赤字屋サバ
土方は、伊東の死体を油小路に捨てておいて、
藤堂平助ら伊東の仲間たちが死体を引き取りに来るのを待ち、
案の定引き取りに来たところを三人、惨殺します
この事件を「油小路の変」といいます。
ひのもとあや
油小路にぶらこうじ、パイポパイポの秋霖が、
秋霖がの宮輪台、
宮輪台のポンポコピーのポンポコナーの長久名の長助・・・・
伊塚光五郎
何?それ?
わけわかんないけど、ずいぶんなめらかに言葉が出てくるねっ。
りょうこ
「油」だけに、
なめらかに言葉が出るのは当たり前でしょう。
伊塚光五郎
何、落語やっとんねん!
それにあれは「薮ら小路」で、「油小路」やないねん!
赤字屋サバ
はいはいはい、
「油小路の変」であまり引っぱられると、
また長くなってしまうのでこの事件はこの辺で終わり。
要は伊東が斬られて、これ以降の新撰組は、
徳川家のために戦うようになる

ということを覚えておいてくださいね。
それからこの「油小路の変」の三日前に、
坂本龍馬が暗殺されてるんですが、
これも新撰組のしわざだ、というウワサがたちます
このことものちの出来事に関係してくるので、
覚えておいてください。
それではまた年表を見てみましょう。
ひのもとあや


新撰組関係年表その9(月日は旧暦です)

1867



1868
12月



1月




3月
王政復古の大号令
小御所会議で徳川家の官位剥奪と領地返上が決まる
新撰組、伏見に出動。近藤勇、墨染で銃に撃たれ、負傷

鳥羽伏見の戦い始まる
徳川慶喜、大坂城をこっそり脱出し、江戸に向かう
新撰組も江戸に向かう

新撰組、「甲陽鎮撫隊」と名乗って、甲府城を取りに行く
甲府城手前の勝沼で戦闘するが、敗退
永倉新八・原田左之助ら、新撰組から分離

大政奉還のあと、王政復古の大号令が出され、
その後の小御所会議で、
徳川家の官位剥奪と領地返上が決まります
つまり、朝廷は徳川家をつぶしにかかってきたわけですね。
この対談ではこれ以降、
朝廷とその軍隊のことを、「官軍」と呼ぶようにします。
ひのもとあや
なんかめまぐるしく情勢が変わるんで、
事態がよく飲み込めないなー・・・・・
りょうこ
簡単に言うとやね、
新政府を始めるにあたって、
旧政府の軍隊があったら不安なんで、
これをつぶすために、
徳川慶喜の官位を取り上げたりとか、
徳川家の持っとる土地をタダでよこせ
とかゆう無理難題をふっかけたりしたわけや。
赤字屋サバ
あんまり簡単に言ってないよ〜、
むずかしいよ〜〜
りょうこ
それじゃあワシが簡単に言ってあげましょうゾイ。
つまりですな、イラクに新政府をつくるのに、
フセイン大統領の部下だった軍隊が残ってたら、
不安でござろう。
だからこれをつぶすために、
フセインの部下たちの顔をトランプにして
大貧民とか七並べとかババ抜きをして遊んだんでござるヨ。
伊塚光五郎
ちょい待ち!
最初はいいたとえやな、思うたけど、
途中から話がおかしゅうなっとるがな!
なんで新政府がトランプして遊ばなならんねん!!
赤字屋サバ
そりゃあもちろん、
イラクジャック」で勝負をつけるためでしょうな。
ふぉっふぉっふぉっ。
伊塚光五郎
そりゃ「ブラックジャック」のシャレかいな!?
赤字屋サバ
おあとがよろしいようで・・・・・
りょうこ
はい、三人とも、落語はこれまで。
この官位剥奪(辞官)と領地返上(納地)に怒った徳川家は、
京都郊外の鳥羽や伏見で戦いを始めてしまいます。
鳥羽伏見の戦い」の開始ですね。
新撰組も伏見に出動して戦いに参加することになるんですが、
タイミング悪く近藤勇がケガしちゃったんで、
指揮を土方歳三がとることになります。
ひのもとあや
近藤がケガしたんは、伏見街道の墨染っちゅうトコや。
伏見に用事があってその帰り道、
鉄砲で肩を撃たれて重傷をおってもーてん。
撃ったんは例の伊東甲子太郎一派の生き残りやねん。
赤字屋サバ
鳥羽伏見の戦いで、新撰組や会津藩はよく戦ったんですが、
肝心の徳川家はからきしだらしなく、
官軍がちょっと攻めてきたら、
すぐさま大坂城まで退却してしまいました。
ですから新撰組も、
大坂城まで退却せざるをえなかった
んです。
ひのもとあや
そして徳川軍は大坂城にこもって、
官軍と一大決戦をするわけですね?
りょうこ
普通ならそうなったはずなんですが・・・・
実はこの時、官軍に「錦の御旗」があがってしまったんです。
「錦の御旗」があがった軍隊というのは、
天皇直属の軍隊である、という証明なんです。
つまり、この「錦の御旗」にさからう人は、
後の世まで「悪者」にされてしまう
んですね。
ですから徳川家の総大将・徳川慶喜は、
「悪者」になるのをいやがって、
戦うことをやめてしまったんです。
ひのもとあや
ただ戦うのをやめただけならまだマシやったんやけどな、
この徳川慶喜は、部下になーんも伝えずに、
身近な人だけ連れて、こっそりと江戸に逃げてもーたんや。
赤字屋サバ
えーーー!
じゃあ部下はみんな戦地に置き去り!?
りょうこ
徳川慶喜はみんなに知られず完璧に逃げるために、
「夜逃げ屋本舗」の中村雅俊に、
夜逃げの仕事を頼んでいたとか。
伊塚光五郎
なんでやねん!
とにかくな、この置き去りにされたなかには新撰組もおってな、
総大将が逃げたんじゃ戦えん、
ちゅうことで、新撰組も江戸に向かうことになったんや。
赤字屋サバ
江戸に戻った新撰組に命令をくだす人は、もういませんでした。
徳川慶喜は「俺は何もしらん」とばかりに、
上野の寛永寺に閉じこもっていました
し、
江戸城にいる人たちは、おろおろするだけで、
どうしたらよいかの判断ができる人がほとんどいなかったのです。
まあもっとも新撰組の近藤勇も、
「どうしたらよいか」の判断ができなかった一人なんですが(笑)。
ひのもとあや
そんな時、
ちょうど甲府(今の山梨県)のお城を守っとったおエライさんが、
近藤勇にこんな話をしたんや。
「近藤はん、私が守ってた甲府城が今空き城になっててな、
このままだと官軍にタダであげることになってまうねん。
それじゃもったいないやんか。
せやから新撰組で甲府城を占領してくれはったら、
近藤はんはそのまま甲府のお殿様になってもエエで
赤字屋サバ
お殿様になれるんだったらいいじゃないですか。
GO!GO!甲府城!!
りょうこ
近藤たちもそう思い、新撰組を「甲陽鎮撫隊」と名付け、
よろこんで甲府にむかったんですね。
ところが江戸から甲府に行く途中には、
近藤たちの故郷、多摩があります。
新撰組はこの故郷多摩で大歓迎をうけ、
何日か接待の酒を飲んだりして過ごし、
ずるずると無駄な日を過ごしてしまったんです。
そしていざ甲府に着いたら、
すでに城は官軍が占領していました。
ひのもとあや
笑い話のような話ですな。
伊塚光五郎
アンタに笑われたらおしまいやね(笑)。
赤字屋サバ
しかたなく新撰組(甲陽鎮撫隊)は、
勝沼というところで官軍と戦うんですが、
ボロ負けして、また江戸に帰ってきます

この敗戦にあきれて、
永倉新八原田左之助ら、
昔なじみの仲間が新撰組から分離してしまいます。
ひのもとあや
それで局中法度にてらして、
永倉と原田を斬るんですね?
りょうこ
ところがこの頃の新撰組は、
もう局中法度を守るどころじゃなかったんですね。
沖田総司は病気療養中、永倉と原田は分離、
そして近藤勇は勝沼の敗戦で気落ちしていて、
元気なのは土方歳三くらいでした。
さてここまでボロボロになってしまった新撰組、
これからどうなってしまうのでしょうか?
年表を見てみましょう。
ひのもとあや


新撰組関係年表その10(月日は旧暦です)

1868 4月1日

4月3日

4月19日

4月25日

5月17日

5月30日

6月頃
新撰組、流山(今の千葉県流山)に移動する

近藤勇、官軍に投降する

土方歳三ひきいる新撰組、宇都宮城をおとす

近藤勇、板橋で斬首される

原田左之助、彰義隊に加わって死亡

沖田総司、病死

新撰組、会津に移動

ボロボロになった新撰組は、
とりあえず流山に移動するんですが、
局長の近藤勇はもう戦う気力をなくしていて、
官軍がやってきたとたん、ただ一人投降してしまいます
ひのもとあや
新撰組 流れ流れて流山 とうとう投降 また近藤
・・・・・最後は「また今度」と「近藤」をかけてみましたゾイ。
伊塚光五郎
くだらん落首つくっとる場合かいな!
赤字屋サバ
投降って?
降伏しちゃった、ってこと?
りょうこ
そういうことですね。
近藤は投降によってリタイヤしてしまいましたが、
土方は最後まで戦う道を選びます。
新撰組はこれ以降、
土方歳三の新撰組」として続くことになります。
ひのもとあや
土方の新撰組は、流山を出てから宇都宮へ行って、
いったんは宇都宮の城を落とすんや。
でもまたすぐ官軍に取り返されて、
こんどは会津に移動すんねん。
京都時代に新撰組を預かってくれたあの会津藩やで。
この頃の会津は完全に官軍を敵にまわしとったから、
その戦いに参加するべく新撰組も会津にはいった、
ちゅうわけや。
赤字屋サバ
新撰組 官軍の城 宇都宮 取り返されて 頼るは会津
・・・今度は「討つ」と「うつ」のみや、をかけて、
結びには「あいつ」と「会津」をかけてみましたゾイ。
ワシって才能ありますのう。ふぉふぉふぉふぉ。
伊塚光五郎
だからくだらん落首はもうエエんやて・・・・・
赤字屋サバ
「土方の新撰組」が戦い続けている間、
昔からのメンバーがばたばた死んでいきます。
四月には近藤勇が板橋で斬首され、京都でさらし首
五月には彰義隊に加わっていた原田左之助が死亡
同じく五月には病気だった沖田総司が死亡・・・
ひのもとあや
近藤勇は斬首のうえ、さらし首にされたんですか。
なんかちょっとかわいそうですねーーー。
もともと京都で治安維持活動をしてただけなのに・・・
りょうこ
それがな、官軍の中でも、
「近藤を助けてやろうや」ちゅう意見もあったねん。
せやけど、坂本龍馬暗殺事件、あったやろ?
あれの犯人が新撰組や、とされとったもんで、
龍馬をしたってた土佐藩のモンが、
強引に近藤を斬首してもーたんや。
赤字屋サバ
近藤だけ 助けてやろう との意見 耳もかさずに 首斬ったとさ
・・・近藤と「こんど」をかけて、
最後は「斬ったとさ」と「土佐」をかけて・・・・・・
伊塚光五郎
ええかげんにせんかい!!!!!
アンタのアホな落首のおかげで、
どんどん会話が長くなってまんねやで!
もうこのへんにしときぃ!!!
赤字屋サバ
さあ、新撰組のお話も、エンディングにはいってきました。
近藤・沖田らが死んで、
残された土方はどうなっていくんでしょうね?
最後の年表を見てみましょう。
ひのもとあや


新撰組関係年表その11(月日は旧暦です)

1868





1869
9月

10月


12月

4月



5月11日


5月18日
会津藩、降伏

新撰組、函館五稜郭に移動、榎本武揚軍に合流

榎本の函館政府発足、土方歳三が陸軍奉行並になる

官軍艦隊、函館に入港

土方歳三、市村鉄之助に遺品をたくし、故郷日野に向かわせる

官軍、総攻撃を始める
土方歳三、銃で撃たれ死亡

榎本の函館政府降伏

土方らが参加した会津戦争ですが、
白虎隊などの悲劇のあと、結局会津藩が降伏してしまいます。
新撰組も一所懸命戦ったんですが力およびませんでした。
この後新撰組は函館五稜郭(ごりょうかく)に移動、
榎本武揚(たけあき)軍と合流して、官軍と戦うことになります。
ひのもとあや
函館って、北海道ですよね。
ずいぶん遠くまで行ったんですね。
りょうこ
土方は函館に着いた時、
♪はぁ〜るばる来たぜ函館〜♪
と思わず口ずさんでしまったらしいですぞ。
伊塚光五郎
アホなこと言わんとき!!
赤字屋サバ
榎本武揚という人は、
幕府の命令でオランダに留学していたこともある人で、
旧幕府軍の人たちを、
軍艦に乗せて函館に来ていました

土方はこの榎本武揚の下で、
官軍に最後まで抵抗することにしたのです。
ひのもとあや
えのきダケ?
伊塚光五郎
「えのもとたけあき」!!
どないしたらそんな風に聞こえんねん!!
赤字屋サバ
土方は榎本の函館政府で陸軍奉行並という役につき、
新撰組の生き残りをひきいて官軍と戦うことになります。
ひのもとあや
官軍の軍艦がやってきたあとにな、
土方は小姓の市村鉄之助ちゅう男にに遺品をたくしてな、
故郷の日野に帰れ、ちゅうて追い出してまうねん。
もうこの戦いで自分は死ぬ、ちゅうのを覚悟してたんやろね。
赤字屋サバ
遺品をたくされた市村は土方の思いやりに感動して、
「必ず日野に届けます!」と出発したけどすぐ戻ってきて、
「日野までの旅費がないんです〜〜(ToT)」
とボケかましたとか。
伊塚光五郎
そりゃウッチャンナンチャンの内村が使いそうなボケやがな。
内村やのうて市村やて!
赤字屋サバ
遺品、てことは、土方さん死んじゃうの?
りょうこ
結果から言うとそうですね。
でも土方の死の様子は実はよくわかっていません
そこでここでは、
司馬遼太郎の「燃えよ剣」のくだりを勝手に借りて、
土方の死の様子をちょっと描写しちゃいますね。
ひのもとあや
まる写しせえへんので、
著作権には触れへんと思いますねん。
関係者のかた、きびしゅう言わんといてや。
赤字屋サバ
まず土方の死ぬ日ですが、5月11日です。
この日函館に、官軍が総攻撃をかけてきました。
土方は新撰組の生き残りと共に、
少人数で戦いの最前線に突っ込んでいきます。
自らが「きり」の役目になって、
官軍の部隊に風穴をあけようとしたんですね。
鬼のように土方は突き進み、
ついにただ一人馬に乗って、
栄国橋という所までやってきてしまいました。
そこへ土方だとは気付いていない官軍の士官がやってきて、
おいおいそこのアンタ、どこ行くの?」と聞かれてしまいます。
ひのもとあや
うわ〜、
土方さん、ピーンチ!!!
りょうこ
その時土方は冷静に、
「ちょっとオシッコに・・・」と言って官軍を笑わせたとか。
伊塚光五郎
んなこと言うかいな!
赤字屋サバ
土方は馬に乗ったままこう答えます。
「お前らの親玉のところへ行くのさ」
そう聞いた官軍の士官は、
「親玉の所へ行くったって・・・アンタ、誰なの?
と名前をききます。
ひのもとあや
「土方腰似蟻菜民衛楠之助(ひじかたこしにありなみんえくすのすけ)だ!
長い名前でスマン!」
伊塚光五郎
余計なこと言わんでもエエて!!!
赤字屋サバ
名前を聞かれた土方は、
函館政府の陸軍奉行並とは名乗る気にならず、
新撰組副長・土方歳三
と、京都時代の肩書きを名乗るんです。
これを聞いた官軍は、
真昼間、いきなり龍に出逢ってしまったくらいに仰天します。
ひのもとあや
官軍は「カメラ、カメラ」とか、
「サインください」「さわらせて〜」とか、
もう大変な騒ぎになったとか。
伊塚光五郎
だからアンタは静かにしとれ、ちゅうの!!
赤字屋サバ
私もサイン欲しい・・・・
りょうこ
りょうこはんまでボケんといてや〜(T_T)頼むワ・・・・・
赤字屋サバ
官軍の士官は尋ねました。
「新撰組が私たちの親玉に会うって言ったって、何の用事?
降伏するんなら、ちゃんと手続きをふんでよ」
すると土方は答えます。
「降伏だぁ?新撰組が親玉の所に行くっていったら、用事は一つ。
斬りこみに行くに決まってるじゃねーか!!
そう言って官軍が射撃姿勢をとっているその頭上を、
馬で飛び越えたとたん、一斉射撃され、
馬の脚が地についた時、
土方の体はものすごい音をたてて地面にころがっていました。
官軍もしばらくは怖がって誰も近づかなかったそうです。
ひのもとあや
その後、官軍の人が土方に近づこうとしたら、
土方がいきなり起き上がって、
「死ぬ前に遺言残さなきゃ。誰か紙とエンピツ貸して」
と言ったらしいですな。
伊塚光五郎
だからその吉本新喜劇風のボケはやめえ!!
赤字屋サバ
しばらくたって、
土方の黒い服が血で濡れ始めたその時、官軍は、
この新撰組副長土方歳三が死体になっていることを知ったんです。
以上、司馬遼太郎の「燃えよ剣」より、
土方の死の様子を描写してみました。
ひのもとあや
なんか土方歳三ってカッコいい・・・・・・
りょうこ
たしかに司馬遼太郎が書いた土方歳三はカッコエエわな。
せやけど、冷静に考えると、土方は「自分で死を選んだ人間」やねん。
手ばなしで単に「カッコエエ」と言ってええもんかどうか・・・
赤字屋サバ
ワシのことは手ばなしで「カッコいい」と言ってもいいですゾイ。
伊塚光五郎
誰がそんなこと言うかいな!!
赤字屋サバ
サバ教頭が言ったように、
土方、そして新撰組という組織は、
歴史上の評価がむずかしい存在です

そこで最後のシメは、
特別ゲストとして当の土方歳三さんご本人に登場してもらい
そのへんのことをみんなで話し合いたいと思います。
ひのもとあや

(*^^)//。・:*:,。・::♪・°'☆パチパチ特別ゲスト・・・土方歳三→


特別ゲストを紹介します。
新撰組副長・土方歳三さんです。
ひのもとあや
おう、来てやったぜ。
おらあ、ごちゃごちゃ難しいこときかれてもわかんねえから、
質問は簡潔にしてくれよ。
土方歳三
土方さん、久しぶり。
年表解説の対談(池田屋戊辰戦争)以来ですねっ♪
りょうこ
ああ、あん時の小娘か。
どうだ、その後ちったあ勉強してかしこくなったか?
土方歳三
うん。
今回新撰組の話を聞いていて、
土方さんって本当はかっこよかったんだな
ってことがわかったよ。
りょうこ
バカヤロウ、「本当」とはなんでぇ、
「本当」だろうが(笑)。
オイラをバカにするヤツは斬るぞ(爆)。
土方歳三
土方どの、お初にお目にかかるでござる。
伊塚光五郎と申しまする。
伊塚光五郎
ワイは赤字屋サバ、いいまんねん。
どうぞよろしゅう。
赤字屋サバ
そして私はひのもとあやと言います。
これから土方さんと一緒に、
みんなで新撰組について、
That's雑談する司会をつとめさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
さてまず最初にお聞きしますが、
京都時代の新撰組は、どういう組織だったんですか?
ひのもとあや
どういうもこういうもねえやな。
新撰組は、京都で悪さをするテロリストを、
びしびし取り締まっただけさ。
土方歳三
つまり今で言う「警察」とか「機動隊」と同じ組織でっしゃろ。
ただ取り締まりの方法がちょい荒っぽかっただけで(笑)。
赤字屋サバ
テロリストどもも刀を振り回してんだ。
新撰組も刀を持って取り締まるのは当たり前だろうが。
斬らなきゃ斬られる」、そういう時代だったんだ。
土方歳三
刀を振り回すのはテロリスト
じゃあ不定形のブロックを上から落として消していく人たちは?
伊塚光五郎
え?何それ?
りょうこ
答えは「テトリスト」ですぞ。
ふぉふぉふぉ。
伊塚光五郎
何、意味のないなぞなぞやってまんねや。
土方はんに斬られたいんかい!!
赤字屋サバ
安心しな。
こんなアホなおっさん、斬る気もおきねえから(笑)。
土方歳三
京都時代の新撰組の仕事が、
テロリストの取り締まりだったのなら、
徳川幕府がなくなったあとは、
官軍の下で官軍に反抗する人たちを取り締まる、
という仕事をすればよかったんじゃないんですか?
ひのもとあや
そんなことできるわけねぇだろ。
官軍ったって、あいつらもともとはテロリストなんだからな。
テロリストの下で働くなんて、
「武士の道」を踏み外しちまわぁ
新撰組の局中法度に、
「武士の道を踏み外すな!」というのがあってな、
コイツをタテに、おらぁ随分仲間を殺してきたのよ。
政権が変わったからって、
「はいそうですか」なんて簡単に従えねえ理由があるのサ。
土方歳三
新撰組の信念をあらわす言葉に、
」の一文字がありますわな。
「誠」をつらぬくのが武士だ、ちゅうことでんな。
赤字屋サバ
野々村
伊塚光五郎
あの男には、
「武士の道」も「信念」も程遠い言葉のようでんな・・・・
赤字屋サバ
新撰組の大部分は戊辰戦争の最中に死んでいきますけど、
中には生き残って官軍の警察になった人もいますね。
斎藤一(はじめ)という人ですけど、
斎藤は会津落城から斗南落ちまで経験してますから、
この人が官軍の警察になったのも、
「誠」をつらぬいた結果だったんでしょうね。
ひのもとあや
あっ!
斎藤一なら、私よく知ってるよ。
警察の時の名前は「藤田五郎」って言うんでしょ?
りょうこ
りょうこはん、よう知ってまんなーーー。
赤字屋サバ
それで得意技は「牙突」!
緋村剣心とは、京都時代からずーーっとライバルなんだよね。
りょうこ
ホントによく知ってますゾイ。
感心、感心、剣心、剣心。
伊塚光五郎
それは「るろうに剣心」のお話ですね。
あのお話はほとんどがフィクションですから、
史実とごっちゃにしないほうがいいと思います。
ただ斎藤が警察官になったというのは事実らしいですが・・・
ひのもとあや
そうかい、斎藤が官軍の警察になったのかい・・・・
ま、それもアイツらしくていいやな。
ただ新撰組としては、「」をつらぬくために、
官軍にシッポ振るようなことはしなかった、
てえことだけは覚えておいてくれ。
土方歳三
土方さんは「誠」のために函館まで行って、
戦って死んだんだもんね。
りょうこ
そういうことですね。
それでは最後に土方さんに聞きます。
新撰組とは、土方さんにとって何だったんですか?
ひのもとあや
新撰組は、おいらにとって一つの作品みたいなモンよ。
「士道」と「誠」を究極まで極めてみがきぬいた、
芸術とも言える武士の集団さ。
たまたま時代の変化についていけなかったけど、
男にはこうと決めたら簡単に変えちゃいけねえモンがある。
それを行動で示した組織だな。
土方歳三
カッコいい組織ですなあ。
いや、感動しましたゾイ。
ワシも新撰組に入隊させてくだされ。
伊塚光五郎
新撰組はとっくの昔に消滅しとるがな!
それに組が残っとったとしても、
アンタみたいないいかげん男が、
入隊させてもらえるはずないやろが!!
赤字屋サバ
はい、土方さん、ありがとうございました。
男にはこうと決めたら簡単に変えちゃいけねえモンがある
・・・・・・いい言葉ですね。
信念も何も持ち合わせず、
ただなんとなく生きている人がいたら聞かせてあげたいですね。
それでは長かった「新撰組」の対談も、
このへんで終わりにしたいと思います。
土方さんはじめみなさん、ご苦労様でした。
本日、これまで!!
ひのもとあや
それじゃあな、あばよ!!
土方歳三
あ!・・
ちょっと待って!土方さん、サインちょーだい!
りょうこ
ワシにもワシにも!!
終わりんとこに「みつごろうさんゑ」と書いてくだされ。
伊塚光五郎
最後まで恥をさらさんといてや・・・・・・
赤字屋サバ

That's雑談 主題 新撰組 終了・・・

PR)
冗談新選組
風光る京都
沖田総司と歩く“渡辺新選組”の舞台

トップにもどる目次にもどる