日本史・That's雑談
第四回 主題 新撰組その3・落日編
| 前回登場した伊東甲子太郎ですが、 新撰組はこの人が登場したころから、 時代とともに転換期を迎えることになります。 それではさっそく年表から見てみましょう。 |
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| ひのもとあや |
新撰組関係年表その7(月日は旧暦です) |
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| 1866 1867 |
1月 6月 7月 7月 12月 1月 3月 |
坂本龍馬などの仲介により薩長同盟成立 第二次長州征伐の戦い始まる 十四代将軍徳川家茂、病没 第二次長州征伐で幕府軍負ける 十五代将軍に徳川慶喜就任 孝明天皇崩御 明治天皇即位 伊東甲子太郎、藤堂平助などを引き連れて新撰組から分離する |
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| 上の年表を追っていくと、 新撰組の母体となっている「幕府」という組織が、 だんだん不安定になってきていることがわかりますね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 幕府もスランプになっていったんでしょうな。 | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| 「幕府スランプ」ですねっ!! | |||||
| りょうこ | |||||
| ふぉふぉふぉ、その通り。 りょうこ殿にオチを言われてしまいましたのう。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 二人して何、漫才やっとんねん!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 味方だと思っていた薩摩が、 こっそり長州と手を握ってるのも知らず、 幕府は長州征伐を実行してしまうんですね。 そしてその途中、 十四代将軍徳川家茂は死んでしまうわ、 長州征伐では負けてしまうわ、 幕府びいきの孝明天皇は死んでしまうわで、 幕府はツキに見放されたかのような出来事が続くんです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| んで、この状況を見てな、 例の伊東甲子太郎がな、 さっさと分離してまうねん。 そん時、江戸道場時代から近藤たちの仲間やった、 藤堂平助なども一緒に出ていってもうたんや。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 分離した、というのはつまり、 「考え方が合わないので、分かれて違う組織を作る」 ということだったんですね。 新撰組は幕府の子分だけど、 伊東はもともと尊皇志士に近い意見を持っていましたから、 「天皇の子分」になるために分離したんです。 この伊東たちの分離によって新撰組のメンバーに、 動揺する人が増えてきます。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 「動揺するならカネをくれ!」 | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| だからそりゃもうエエ、っちゅうの・・・・・ | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| それでその後の幕府と新撰組はどうなっていくんですか? | |||||
| りょうこ | |||||
| はい、それはまた年表を見てみましょう。 | |||||
| ひのもとあや | |||||
新撰組関係年表その8(月日は旧暦です) |
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| 1867 | 6月 10月 11月 |
伊東甲子太郎たち、高台寺に移り、高台寺党と呼ばれる 近藤、土方など新撰組のメンバー多くが幕府直参となる 十五代将軍徳川慶喜、政権を朝廷に返し、幕府消滅(大政奉還) 坂本龍馬暗殺、犯人は新撰組だと噂される 伊東甲子太郎、油小路で暗殺 ついでに藤堂平助ら新撰組を分離したメンバー三人も殺害 |
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| 伊東甲子太郎は分離して、 「高台寺」というところで天皇の子分として活動を始めます。 同じ頃、近藤、土方など新撰組のメンバー多くが、 幕府の直参(じきさん)となっています。 今までの「会津藩お預かり」から、 幕府直轄のケライになったわけですね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| ケライ出世しましたな。 | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| ま、出世いうたら出世かもしらんけどな、 直参になったとたん、 十五代将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返してもーて、 幕府そのものが消滅してもうてん(大政奉還)。 せやから直参なんぞになっても、 あんま意味がなくなってもうたんや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| アルバイトから正社員になれたとたん、 会社が倒産したようなものかな? ヒサンな事態ですねーー。 |
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| りょうこ | ||||||
| だいたいはそういう理解でいいんですけど、 この時点では「幕府」はなくなったけど、 「徳川家」はまだ残ってるんです。 ですから新撰組は大政奉還の後に今度は、 「徳川家の直参」になった、ということですね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| つまり会社が倒産したので、 今度は社長の家のボディーガードとして、 引き続きやとってもらった、 というようなものやろね。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| その場合失業保険とか、 健康保険の問題はどうなるんでしょうなあ? あと退職金とか社会保険の手続きなんかも・・・・ |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 当時そんな手続きあるかいな! そんな生々しい疑問、持たんでエエて!!! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| でも幕府がなくなってしまって、 新撰組もどうしたらいいか困ったでしょうね。 ただでさえ伊東甲子太郎が分離してみんな動揺してるのに。 |
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| りょうこ | ||||||
| そうですね。 そこでとりあえず土方が考えたことは、 「新撰組の動揺をしずめること」でした。 そのためには、「局中法度」を破って分離した、 伊東甲子太郎を斬って、 新撰組を以前のように「鉄の規律」の組織に戻そう、 と考えたんです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 土方は近藤を使って伊東を呼びだし、 酒をぎょうさん飲ませたんやて。 ほんでも伊東は「俺は酔ってへんぞー」言うて、 一人で闇夜を帰ったらしいわ。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| そしてその帰り道、飲酒運転でつかまって、 キップきられて、 「俺は酔ってない! だから酒酔い運転でも、酒気帯び運転でもないぞ!」 と叫んで、おまわりさんにあきれられたとか。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| んなアホな・・・・・・・・ | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| おまわりさんが「ハイ、免許見せて」と言って、 伊東の免許をよくよく見たら、免許は免許でも、 北辰一刀流の免許だったとか。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| いいかげんにせい! 話がとぎれたやないかい! ほんでな、酔って帰った伊東を、 土方らが「油小路(あぶらこうじ)」ちゅうとこで待ち伏せして、 ズバッと斬ってしもーたんや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 土方は、伊東の死体を油小路に捨てておいて、 藤堂平助ら伊東の仲間たちが死体を引き取りに来るのを待ち、 案の定引き取りに来たところを三人、惨殺します。 この事件を「油小路の変」といいます。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 油小路にぶらこうじ、パイポパイポの秋霖が、 秋霖がの宮輪台、 宮輪台のポンポコピーのポンポコナーの長久名の長助・・・・ |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 何?それ? わけわかんないけど、ずいぶんなめらかに言葉が出てくるねっ。 |
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| りょうこ | ||||||
| 「油」だけに、 なめらかに言葉が出るのは当たり前でしょう。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 何、落語やっとんねん! それにあれは「薮ら小路」で、「油小路」やないねん! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| はいはいはい、 「油小路の変」であまり引っぱられると、 また長くなってしまうのでこの事件はこの辺で終わり。 要は伊東が斬られて、これ以降の新撰組は、 徳川家のために戦うようになる、 ということを覚えておいてくださいね。 それからこの「油小路の変」の三日前に、 坂本龍馬が暗殺されてるんですが、 これも新撰組のしわざだ、というウワサがたちます。 このことものちの出来事に関係してくるので、 覚えておいてください。 それではまた年表を見てみましょう。 |
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| ひのもとあや | ||||||
新撰組関係年表その9(月日は旧暦です) |
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| 1867 1868 |
12月 1月 3月 |
王政復古の大号令 小御所会議で徳川家の官位剥奪と領地返上が決まる 新撰組、伏見に出動。近藤勇、墨染で銃に撃たれ、負傷 鳥羽伏見の戦い始まる 徳川慶喜、大坂城をこっそり脱出し、江戸に向かう 新撰組も江戸に向かう 新撰組、「甲陽鎮撫隊」と名乗って、甲府城を取りに行く 甲府城手前の勝沼で戦闘するが、敗退 永倉新八・原田左之助ら、新撰組から分離 |
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| 大政奉還のあと、王政復古の大号令が出され、 その後の小御所会議で、 徳川家の官位剥奪と領地返上が決まります。 つまり、朝廷は徳川家をつぶしにかかってきたわけですね。 この対談ではこれ以降、 朝廷とその軍隊のことを、「官軍」と呼ぶようにします。 |
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| ひのもとあや | |||||
| なんかめまぐるしく情勢が変わるんで、 事態がよく飲み込めないなー・・・・・ |
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| りょうこ | |||||
| 簡単に言うとやね、 新政府を始めるにあたって、 旧政府の軍隊があったら不安なんで、 これをつぶすために、 徳川慶喜の官位を取り上げたりとか、 徳川家の持っとる土地をタダでよこせ、 とかゆう無理難題をふっかけたりしたわけや。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| あんまり簡単に言ってないよ〜、 むずかしいよ〜〜 |
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| りょうこ | |||||
| それじゃあワシが簡単に言ってあげましょうゾイ。 つまりですな、イラクに新政府をつくるのに、 フセイン大統領の部下だった軍隊が残ってたら、 不安でござろう。 だからこれをつぶすために、 フセインの部下たちの顔をトランプにして、 大貧民とか七並べとかババ抜きをして遊んだんでござるヨ。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| ちょい待ち! 最初はいいたとえやな、思うたけど、 途中から話がおかしゅうなっとるがな! なんで新政府がトランプして遊ばなならんねん!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| そりゃあもちろん、 「イラクジャック」で勝負をつけるためでしょうな。 ふぉっふぉっふぉっ。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| そりゃ「ブラックジャック」のシャレかいな!? | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| おあとがよろしいようで・・・・・ | |||||
| りょうこ | |||||
| はい、三人とも、落語はこれまで。 この官位剥奪(辞官)と領地返上(納地)に怒った徳川家は、 京都郊外の鳥羽や伏見で戦いを始めてしまいます。 「鳥羽伏見の戦い」の開始ですね。 新撰組も伏見に出動して戦いに参加することになるんですが、 タイミング悪く近藤勇がケガしちゃったんで、 指揮を土方歳三がとることになります。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 近藤がケガしたんは、伏見街道の墨染っちゅうトコや。 伏見に用事があってその帰り道、 鉄砲で肩を撃たれて重傷をおってもーてん。 撃ったんは例の伊東甲子太郎一派の生き残りやねん。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 鳥羽伏見の戦いで、新撰組や会津藩はよく戦ったんですが、 肝心の徳川家はからきしだらしなく、 官軍がちょっと攻めてきたら、 すぐさま大坂城まで退却してしまいました。 ですから新撰組も、 大坂城まで退却せざるをえなかったんです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| そして徳川軍は大坂城にこもって、 官軍と一大決戦をするわけですね? |
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| りょうこ | |||||
| 普通ならそうなったはずなんですが・・・・ 実はこの時、官軍に「錦の御旗」があがってしまったんです。 「錦の御旗」があがった軍隊というのは、 天皇直属の軍隊である、という証明なんです。 つまり、この「錦の御旗」にさからう人は、 後の世まで「悪者」にされてしまうんですね。 ですから徳川家の総大将・徳川慶喜は、 「悪者」になるのをいやがって、 戦うことをやめてしまったんです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| ただ戦うのをやめただけならまだマシやったんやけどな、 この徳川慶喜は、部下になーんも伝えずに、 身近な人だけ連れて、こっそりと江戸に逃げてもーたんや。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| えーーー! じゃあ部下はみんな戦地に置き去り!? |
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| りょうこ | |||||
| 徳川慶喜はみんなに知られず完璧に逃げるために、 「夜逃げ屋本舗」の中村雅俊に、 夜逃げの仕事を頼んでいたとか。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| なんでやねん! とにかくな、この置き去りにされたなかには新撰組もおってな、 総大将が逃げたんじゃ戦えん、 ちゅうことで、新撰組も江戸に向かうことになったんや。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 江戸に戻った新撰組に命令をくだす人は、もういませんでした。 徳川慶喜は「俺は何もしらん」とばかりに、 上野の寛永寺に閉じこもっていましたし、 江戸城にいる人たちは、おろおろするだけで、 どうしたらよいかの判断ができる人がほとんどいなかったのです。 まあもっとも新撰組の近藤勇も、 「どうしたらよいか」の判断ができなかった一人なんですが(笑)。 |
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| ひのもとあや | |||||
| そんな時、 ちょうど甲府(今の山梨県)のお城を守っとったおエライさんが、 近藤勇にこんな話をしたんや。 「近藤はん、私が守ってた甲府城が今空き城になっててな、 このままだと官軍にタダであげることになってまうねん。 それじゃもったいないやんか。 せやから新撰組で甲府城を占領してくれはったら、 近藤はんはそのまま甲府のお殿様になってもエエで」 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| お殿様になれるんだったらいいじゃないですか。 GO!GO!甲府城!! |
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| りょうこ | |||||
| 近藤たちもそう思い、新撰組を「甲陽鎮撫隊」と名付け、 よろこんで甲府にむかったんですね。 ところが江戸から甲府に行く途中には、 近藤たちの故郷、多摩があります。 新撰組はこの故郷多摩で大歓迎をうけ、 何日か接待の酒を飲んだりして過ごし、 ずるずると無駄な日を過ごしてしまったんです。 そしていざ甲府に着いたら、 すでに城は官軍が占領していました。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 笑い話のような話ですな。 | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| アンタに笑われたらおしまいやね(笑)。 | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| しかたなく新撰組(甲陽鎮撫隊)は、 勝沼というところで官軍と戦うんですが、 ボロ負けして、また江戸に帰ってきます。 この敗戦にあきれて、 永倉新八や原田左之助ら、 昔なじみの仲間が新撰組から分離してしまいます。 |
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| ひのもとあや | |||||
| それで局中法度にてらして、 永倉と原田を斬るんですね? |
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| りょうこ | |||||
| ところがこの頃の新撰組は、 もう局中法度を守るどころじゃなかったんですね。 沖田総司は病気療養中、永倉と原田は分離、 そして近藤勇は勝沼の敗戦で気落ちしていて、 元気なのは土方歳三くらいでした。 さてここまでボロボロになってしまった新撰組、 これからどうなってしまうのでしょうか? 年表を見てみましょう。 |
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| ひのもとあや | |||||
新撰組関係年表その10(月日は旧暦です) |
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| 1868 | 4月1日 4月3日 4月19日 4月25日 5月17日 5月30日 6月頃 |
新撰組、流山(今の千葉県流山)に移動する 近藤勇、官軍に投降する 土方歳三ひきいる新撰組、宇都宮城をおとす 近藤勇、板橋で斬首される 原田左之助、彰義隊に加わって死亡 沖田総司、病死 新撰組、会津に移動 |
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| ボロボロになった新撰組は、 とりあえず流山に移動するんですが、 局長の近藤勇はもう戦う気力をなくしていて、 官軍がやってきたとたん、ただ一人投降してしまいます。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 新撰組 流れ流れて流山 とうとう投降 また近藤 ・・・・・最後は「また今度」と「近藤」をかけてみましたゾイ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| くだらん落首つくっとる場合かいな! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 投降って? 降伏しちゃった、ってこと? |
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| りょうこ | ||||||
| そういうことですね。 近藤は投降によってリタイヤしてしまいましたが、 土方は最後まで戦う道を選びます。 新撰組はこれ以降、 「土方歳三の新撰組」として続くことになります。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 土方の新撰組は、流山を出てから宇都宮へ行って、 いったんは宇都宮の城を落とすんや。 でもまたすぐ官軍に取り返されて、 こんどは会津に移動すんねん。 京都時代に新撰組を預かってくれたあの会津藩やで。 この頃の会津は完全に官軍を敵にまわしとったから、 その戦いに参加するべく新撰組も会津にはいった、 ちゅうわけや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 新撰組 官軍の城 宇都宮 取り返されて 頼るは会津 ・・・今度は「討つ」と「うつ」のみや、をかけて、 結びには「あいつ」と「会津」をかけてみましたゾイ。 ワシって才能ありますのう。ふぉふぉふぉふぉ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| だからくだらん落首はもうエエんやて・・・・・ | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 「土方の新撰組」が戦い続けている間、 昔からのメンバーがばたばた死んでいきます。 四月には近藤勇が板橋で斬首され、京都でさらし首、 五月には彰義隊に加わっていた原田左之助が死亡、 同じく五月には病気だった沖田総司が死亡・・・ |
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| ひのもとあや | ||||||
| 近藤勇は斬首のうえ、さらし首にされたんですか。 なんかちょっとかわいそうですねーーー。 もともと京都で治安維持活動をしてただけなのに・・・ |
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| りょうこ | ||||||
| それがな、官軍の中でも、 「近藤を助けてやろうや」ちゅう意見もあったねん。 せやけど、坂本龍馬暗殺事件、あったやろ? あれの犯人が新撰組や、とされとったもんで、 龍馬をしたってた土佐藩のモンが、 強引に近藤を斬首してもーたんや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 近藤だけ 助けてやろう との意見 耳もかさずに 首斬ったとさ ・・・近藤と「こんど」をかけて、 最後は「斬ったとさ」と「土佐」をかけて・・・・・・ |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| ええかげんにせんかい!!!!! アンタのアホな落首のおかげで、 どんどん会話が長くなってまんねやで! もうこのへんにしときぃ!!! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| さあ、新撰組のお話も、エンディングにはいってきました。 近藤・沖田らが死んで、 残された土方はどうなっていくんでしょうね? 最後の年表を見てみましょう。 |
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| ひのもとあや | ||||||
新撰組関係年表その11(月日は旧暦です) |
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| 1868 1869 |
9月 10月 12月 4月 ? 5月11日 5月18日 |
会津藩、降伏 新撰組、函館五稜郭に移動、榎本武揚軍に合流 榎本の函館政府発足、土方歳三が陸軍奉行並になる 官軍艦隊、函館に入港 土方歳三、市村鉄之助に遺品をたくし、故郷日野に向かわせる 官軍、総攻撃を始める 土方歳三、銃で撃たれ死亡 榎本の函館政府降伏 |
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| 土方らが参加した会津戦争ですが、 白虎隊などの悲劇のあと、結局会津藩が降伏してしまいます。 新撰組も一所懸命戦ったんですが力およびませんでした。 この後新撰組は函館五稜郭(ごりょうかく)に移動、 榎本武揚(たけあき)軍と合流して、官軍と戦うことになります。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 函館って、北海道ですよね。 ずいぶん遠くまで行ったんですね。 |
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| りょうこ | ||||||
| 土方は函館に着いた時、 ♪はぁ〜るばる来たぜ函館〜♪ と思わず口ずさんでしまったらしいですぞ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| アホなこと言わんとき!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 榎本武揚という人は、 幕府の命令でオランダに留学していたこともある人で、 旧幕府軍の人たちを、 軍艦に乗せて函館に来ていました。 土方はこの榎本武揚の下で、 官軍に最後まで抵抗することにしたのです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| えのきダケ? | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| 「えのもとたけあき」!! どないしたらそんな風に聞こえんねん!! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 土方は榎本の函館政府で陸軍奉行並という役につき、 新撰組の生き残りをひきいて官軍と戦うことになります。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 官軍の軍艦がやってきたあとにな、 土方は小姓の市村鉄之助ちゅう男にに遺品をたくしてな、 故郷の日野に帰れ、ちゅうて追い出してまうねん。 もうこの戦いで自分は死ぬ、ちゅうのを覚悟してたんやろね。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 遺品をたくされた市村は土方の思いやりに感動して、 「必ず日野に届けます!」と出発したけどすぐ戻ってきて、 「日野までの旅費がないんです〜〜(ToT)」 とボケかましたとか。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| そりゃウッチャンナンチャンの内村が使いそうなボケやがな。 内村やのうて市村やて! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 遺品、てことは、土方さん死んじゃうの? | ||||||
| りょうこ | ||||||
| 結果から言うとそうですね。 でも土方の死の様子は実はよくわかっていません。 そこでここでは、 司馬遼太郎の「燃えよ剣」のくだりを勝手に借りて、 土方の死の様子をちょっと描写しちゃいますね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| まる写しせえへんので、 著作権には触れへんと思いますねん。 関係者のかた、きびしゅう言わんといてや。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| まず土方の死ぬ日ですが、5月11日です。 この日函館に、官軍が総攻撃をかけてきました。 土方は新撰組の生き残りと共に、 少人数で戦いの最前線に突っ込んでいきます。 自らが「きり」の役目になって、 官軍の部隊に風穴をあけようとしたんですね。 鬼のように土方は突き進み、 ついにただ一人馬に乗って、 栄国橋という所までやってきてしまいました。 そこへ土方だとは気付いていない官軍の士官がやってきて、 「おいおいそこのアンタ、どこ行くの?」と聞かれてしまいます。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| うわ〜、 土方さん、ピーンチ!!! |
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| りょうこ | ||||||
| その時土方は冷静に、 「ちょっとオシッコに・・・」と言って官軍を笑わせたとか。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| んなこと言うかいな! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 土方は馬に乗ったままこう答えます。 「お前らの親玉のところへ行くのさ」 そう聞いた官軍の士官は、 「親玉の所へ行くったって・・・アンタ、誰なの?」 と名前をききます。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 「土方腰似蟻菜民衛楠之助(ひじかたこしにありなみんえくすのすけ)だ! 長い名前でスマン!」 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 余計なこと言わんでもエエて!!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 名前を聞かれた土方は、 函館政府の陸軍奉行並とは名乗る気にならず、 「新撰組副長・土方歳三」 と、京都時代の肩書きを名乗るんです。 これを聞いた官軍は、 真昼間、いきなり龍に出逢ってしまったくらいに仰天します。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| 官軍は「カメラ、カメラ」とか、 「サインください」「さわらせて〜」とか、 もう大変な騒ぎになったとか。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| だからアンタは静かにしとれ、ちゅうの!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 私もサイン欲しい・・・・ | ||||||
| りょうこ | ||||||
| りょうこはんまでボケんといてや〜(T_T)頼むワ・・・・・ | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| 官軍の士官は尋ねました。 「新撰組が私たちの親玉に会うって言ったって、何の用事? 降伏するんなら、ちゃんと手続きをふんでよ」 すると土方は答えます。 「降伏だぁ?新撰組が親玉の所に行くっていったら、用事は一つ。 斬りこみに行くに決まってるじゃねーか!!」 そう言って官軍が射撃姿勢をとっているその頭上を、 馬で飛び越えたとたん、一斉射撃され、 馬の脚が地についた時、 土方の体はものすごい音をたてて地面にころがっていました。 官軍もしばらくは怖がって誰も近づかなかったそうです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| その後、官軍の人が土方に近づこうとしたら、 土方がいきなり起き上がって、 「死ぬ前に遺言残さなきゃ。誰か紙とエンピツ貸して」 と言ったらしいですな。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| だからその吉本新喜劇風のボケはやめえ!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| しばらくたって、 土方の黒い服が血で濡れ始めたその時、官軍は、 この新撰組副長土方歳三が死体になっていることを知ったんです。 以上、司馬遼太郎の「燃えよ剣」より、 土方の死の様子を描写してみました。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| なんか土方歳三ってカッコいい・・・・・・ | ||||||
| りょうこ | ||||||
| たしかに司馬遼太郎が書いた土方歳三はカッコエエわな。 せやけど、冷静に考えると、土方は「自分で死を選んだ人間」やねん。 手ばなしで単に「カッコエエ」と言ってええもんかどうか・・・ |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| ワシのことは手ばなしで「カッコいい」と言ってもいいですゾイ。 | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| 誰がそんなこと言うかいな!! | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| サバ教頭が言ったように、 土方、そして新撰組という組織は、 歴史上の評価がむずかしい存在です。 そこで最後のシメは、 特別ゲストとして当の土方歳三さんご本人に登場してもらい、 そのへんのことをみんなで話し合いたいと思います。 |
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| ひのもとあや | ||||||
(*^^)//。・:*:,。・::♪・°'☆パチパチ特別ゲスト・・・土方歳三→![]()
| 特別ゲストを紹介します。 新撰組副長・土方歳三さんです。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| おう、来てやったぜ。 おらあ、ごちゃごちゃ難しいこときかれてもわかんねえから、 質問は簡潔にしてくれよ。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| 土方さん、久しぶり。 年表解説の対談(池田屋・戊辰戦争)以来ですねっ♪ |
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| りょうこ | ||||||
| ああ、あん時の小娘か。 どうだ、その後ちったあ勉強してかしこくなったか? |
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| 土方歳三 | ||||||
| うん。 今回新撰組の話を聞いていて、 土方さんって本当はかっこよかったんだな、 ってことがわかったよ。 |
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| りょうこ | ||||||
| バカヤロウ、「本当は」とはなんでぇ、 「本当に」だろうが(笑)。 オイラをバカにするヤツは斬るぞ(爆)。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| 土方どの、お初にお目にかかるでござる。 伊塚光五郎と申しまする。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| ワイは赤字屋サバ、いいまんねん。 どうぞよろしゅう。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| そして私はひのもとあやと言います。 これから土方さんと一緒に、 みんなで新撰組について、 That's雑談する司会をつとめさせていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 さてまず最初にお聞きしますが、 京都時代の新撰組は、どういう組織だったんですか? |
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| ひのもとあや | ||||||
| どういうもこういうもねえやな。 新撰組は、京都で悪さをするテロリストを、 びしびし取り締まっただけさ。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| つまり今で言う「警察」とか「機動隊」と同じ組織でっしゃろ。 ただ取り締まりの方法がちょい荒っぽかっただけで(笑)。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| テロリストどもも刀を振り回してんだ。 新撰組も刀を持って取り締まるのは当たり前だろうが。 「斬らなきゃ斬られる」、そういう時代だったんだ。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| 刀を振り回すのはテロリスト。 じゃあ不定形のブロックを上から落として消していく人たちは? |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| え?何それ? | ||||||
| りょうこ | ||||||
| 答えは「テトリスト」ですぞ。 ふぉふぉふぉ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 何、意味のないなぞなぞやってまんねや。 土方はんに斬られたいんかい!! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 安心しな。 こんなアホなおっさん、斬る気もおきねえから(笑)。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| 京都時代の新撰組の仕事が、 テロリストの取り締まりだったのなら、 徳川幕府がなくなったあとは、 官軍の下で官軍に反抗する人たちを取り締まる、 という仕事をすればよかったんじゃないんですか? |
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| ひのもとあや | ||||||
| そんなことできるわけねぇだろ。 官軍ったって、あいつらもともとはテロリストなんだからな。 テロリストの下で働くなんて、 「武士の道」を踏み外しちまわぁ。 新撰組の局中法度に、 「武士の道を踏み外すな!」というのがあってな、 コイツをタテに、おらぁ随分仲間を殺してきたのよ。 政権が変わったからって、 「はいそうですか」なんて簡単に従えねえ理由があるのサ。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| 新撰組の信念をあらわす言葉に、 「誠」の一文字がありますわな。 「誠」をつらぬくのが武士だ、ちゅうことでんな。 |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 野々村誠? | ||||||
| 伊塚光五郎 | ||||||
| あの男には、 「武士の道」も「信念」も程遠い言葉のようでんな・・・・ |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| 新撰組の大部分は戊辰戦争の最中に死んでいきますけど、 中には生き残って官軍の警察になった人もいますね。 斎藤一(はじめ)という人ですけど、 斎藤は会津落城から斗南落ちまで経験してますから、 この人が官軍の警察になったのも、 「誠」をつらぬいた結果だったんでしょうね。 |
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| ひのもとあや | ||||||
| あっ! 斎藤一なら、私よく知ってるよ。 警察の時の名前は「藤田五郎」って言うんでしょ? |
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| りょうこ | ||||||
| りょうこはん、よう知ってまんなーーー。 | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
| それで得意技は「牙突」! 緋村剣心とは、京都時代からずーーっとライバルなんだよね。 |
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| りょうこ | ||||||
| ホントによく知ってますゾイ。 感心、感心、剣心、剣心。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| それは「るろうに剣心」のお話ですね。 あのお話はほとんどがフィクションですから、 史実とごっちゃにしないほうがいいと思います。 ただ斎藤が警察官になったというのは事実らしいですが・・・ |
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| ひのもとあや | ||||||
| そうかい、斎藤が官軍の警察になったのかい・・・・ ま、それもアイツらしくていいやな。 ただ新撰組としては、「誠」をつらぬくために、 官軍にシッポ振るようなことはしなかった、 てえことだけは覚えておいてくれ。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| 土方さんは「誠」のために函館まで行って、 戦って死んだんだもんね。 |
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| りょうこ | ||||||
| そういうことですね。 それでは最後に土方さんに聞きます。 新撰組とは、土方さんにとって何だったんですか? |
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| ひのもとあや | ||||||
| 新撰組は、おいらにとって一つの作品みたいなモンよ。 「士道」と「誠」を究極まで極めてみがきぬいた、 芸術とも言える武士の集団さ。 たまたま時代の変化についていけなかったけど、 男にはこうと決めたら簡単に変えちゃいけねえモンがある。 それを行動で示した組織だな。 |
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| 土方歳三 | ||||||
| カッコいい組織ですなあ。 いや、感動しましたゾイ。 ワシも新撰組に入隊させてくだされ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 新撰組はとっくの昔に消滅しとるがな! それに組が残っとったとしても、 アンタみたいないいかげん男が、 入隊させてもらえるはずないやろが!! |
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| 赤字屋サバ | ||||||
| はい、土方さん、ありがとうございました。 「男にはこうと決めたら簡単に変えちゃいけねえモンがある」 ・・・・・・いい言葉ですね。 信念も何も持ち合わせず、 ただなんとなく生きている人がいたら聞かせてあげたいですね。 それでは長かった「新撰組」の対談も、 このへんで終わりにしたいと思います。 土方さんはじめみなさん、ご苦労様でした。 本日、これまで!! |
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| ひのもとあや | ||||||
| それじゃあな、あばよ!! | ||||||
| 土方歳三 | ||||||
| あ!・・ ちょっと待って!土方さん、サインちょーだい! |
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| りょうこ | ||||||
| ワシにもワシにも!! 終わりんとこに「みつごろうさんゑ」と書いてくだされ。 |
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| 伊塚光五郎 | ||||||
| 最後まで恥をさらさんといてや・・・・・・ | ||||||
| 赤字屋サバ | ||||||
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沖田総司と歩く“渡辺新選組”の舞台 |