日本史・That's雑談
第六回 主題 「逃げ」の美学
| みなさんは「逃げる」というと、 どういうイメージがありますか? |
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| ひのもとあや | |||||
| なんかヒキョウ者のイメージかな・・・ | |||||
| りょうこ | |||||
| ヒキョウと言えば「ちびまる子ちゃん」の、 藤木くん!! |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 連想ゲームとちゃうわい!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| あ、それと「夜逃げ屋本舗」のイメージ。 | |||||
| りょうこ | |||||
| 中村雅俊! | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| しゃあから連想ゲームやない、っちゅうの! ワイは「逃げる」言うたら、 「逃げの小五郎」をイメージしまんな。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| ワシの名前は「光五郎」ですぞ。 「ヒゲの光五郎」。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 「ハゲの光五郎」ちゃうん? | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| はいはいはい、 話が進まないので、漫才はそれくらいにしてくださいね。 みなさんに「逃げる」イメージをきいたのは、 逃げる、イコール、悪いイメージがあるんじゃないか、 と思ったからなんです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| だって逃げるのは悪いことでしょ? | |||||
| りょうこ | |||||
| ところがそうでもないんですね。 今日は「逃げる」ことは悪いことではない、 むしろ「逃げ」の美学、というものがある、 ということをみんなで勉強していきたいと思います。 まず最初は、先ほどサバ教頭が出した、 「逃げの小五郎」こと、桂小五郎の例を見たいと思います。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 桂小五郎 天保4年(1833)長州(山口県)で生まれる。 池田屋事件、蛤御門の変の時、うまく逃げて逃走生活にはいる。 このことから「逃げの小五郎」と呼ばれる。 一説には小五郎が新撰組に囲まれたとき、 とっさに「うんち」をして相手をおどろかせ、その隙に逃げたという。 まさに逃げの達人である。 慶応2年(1866)薩長同盟成立の際、長州の代表に選ばれる。 明治維新に貢献して「維新の三傑」の一人に選ばれる。 明治4年(1871)海外を視察して日本の近代化に貢献。 明治10年(1877)没。享年45歳。 |
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| 上は桂小五郎さんの一生です。 彼は若い頃、逃げたおかげで生き延び、 そして明治維新に貢献しています。 |
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| ひのもとあや | |||||
| ただ単におくびょうで逃げていたら、 たまたま生き残って明治維新を迎えたんじゃないんですか? |
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| りょうこ | |||||
| もしそうだったら、薩長同盟の時に、 長州の代表に選ばれるわけがありませんし、 「維新の三傑」なんていわれることもないでしょうね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 逃げ回ってた小五郎はんが、 そんだけの仕事させてもらえたのは、 やっぱ「逃げ」に美学があったからやろね。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 「逃げの美学」って何? | |||||
| りょうこ | |||||
| て言うか、「美学」って何? | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| 「美学」の意味くらい、辞書で調べいや! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 「逃げの美学」というと大げさですが、 要するに「カッコいい逃げ方」ということかな。 ただ単に「イヤなことから逃げる」のでなく、 「将来の目標を達成するために、危険な状況から逃げる」 という逃げ方のことでしょうね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| つまり、目標も持たず努力もせず、 いやなことを避けて通る、みたいな逃げは、 たしかにヒキョウな逃げ方や。 けど、確固たる目標があって、 それを実現させるために危険な状況から逃げる、いうんは、 カッコいい逃げ方やねん。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| なるほど、「目標」があるかないかで違う、 ということですね。 |
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| りょうこ | |||||
| 月曜、火曜、水曜、目標・・・・・・ | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| アンタ、この場から今すぐ逃げてエエから・・・ 誰も止めんから・・・ |
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| 赤字屋サバ | |||||
| よく「生きることから逃げる」人がいますが、 これは大バカ者ですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| あや先生にそないなキチャナイ言葉遣い、似合いまへんで。 | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 大バカ者で悪ければ、アホタレですね。 「生きる」というのは、人間として目指さなくてはならない、 あたりまえの目標です。 あたりまえの目標から逃げる、というのは・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ やっぱ単なるアホタレです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 「あんぽんたん」なんて言葉もありますぞ。 それから時代劇風に言うと「うつけ者」とか・・・ |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 余計なこと言わんでもよろし!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| ちょっと下品な言葉をつかってしまいましたが、 要するに「生きる」という目標を達成するためには、 「死」という逃げ方をするんじゃなくて、 「死にたいくらいに追い込まれた状況から逃げる」 という道を選んでほしいと思うんですね。 それがどんなつらい道であっても。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 今の世の中、死なずに済む逃げ道は、 いっぱいあんねん。 「いじめにあったから」「借金が払えないから」 こんな理由で「死」に逃げるなんて、バカらしいやないかい。 「世の中がつまらないから死ぬ」なんて、 その理由のほうがよっぽどつまらんわ! と、ツッコミいれたくなるワイ!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| な、なんか「逃げ」の話から、 テーマが深刻になってきちゃいましたね。 私、話についていけてないんですけど(・・;)・・・・・・ |
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| りょうこ | |||||
| ワシもボケかますチャンスを待ってたんでござるが、 きっかけをつかむことができませなんだ。 テーマが重いだけに、ウエイトですな。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| そりゃ待つ(Wait)と重い(Weight)をかけたつもりかい!? ワイが読んでる人に説明せな、わからんギャグ言うな!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| ちょっと話がはずれてきてしまったようですね。 ちょっと軌道修正して次は、 日本史の人物で桂小五郎のほかに 「逃げの美学」を実行した人を四人紹介しましょう。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 天武天皇 天智天皇のあとつぎ問題で身に危険がせまった時、 「坊主になります」と言いのがれして逃げた。 そして生き延びたおかげで、 壬申の乱に勝ち、天皇になった。 源頼朝 宿敵の平氏を倒そうと「石橋山の戦い」をおこしたが大負けした。 頼朝はカッコ悪いくらいに逃げて生き延び、 のちに鎌倉幕府をひらいた。 織田信長 越前の朝倉という大名を攻めている時、 義弟に裏切られてはさみうちにあいそうになった。 危険を感じた信長は、部下も味方も全員置き去りにし、自分一人で逃げた。 しかし二ヵ月後には態勢を立て直し、三年後には裏切った義弟を滅ぼす。 生き延びた信長はのちに安土に城をつくり、 日本を中世から近世へとみちびいた。 坂本龍馬 幕府から指名手配中、 京都伏見の寺田屋を大人数で囲まれてつかまりそうになったが、 とにかくメチャクチャ逃げまくって助かった。 龍馬は剣の達人だったが、逃げる時に相手を切り殺したりはしなかったらしい。 のちに大政奉還の案を出したりして明治維新に貢献する。 |
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| 最初は天武天皇です。 この人は天皇の後継ぎ問題にまきこまれそうになり、 「坊主になります」という理由をつけて、 奥さんと一緒に吉野というところに逃げています。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 坊主が上手に女房と吉野に逃げ出す・・・・・・ | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| インチキな早口言葉言っとる場合か! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 逃げ出した天武さんが、 なんで天皇にまでなれたんですか? |
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| りょうこ | |||||
| 天武が逃げたあと、天智天皇が死んでしまったんですね。 そこで天智の息子と天武のあいだで後継者争いが起こるんです。 これが「壬申の乱」で、勝った天武が天皇になるんですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| つまり実力者やった天智天皇がいなくなるのをじっと待つために、 天武は一時的に逃げとったわけや。 ・・・で、天智なきあと、実力で天皇位を勝ち取った、 というわけやね。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 天武天皇の場合は、 「いずれ天皇になる」という目標達成のための 「逃げ」だったわけですね。 |
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| りょうこ | |||||
| 確証はないんですが、そう言って間違いないでしょうね。 そして次は源頼朝です。 彼は34歳まで罪人として暮らしていたんですが、 「平氏を倒せ」という命令をうけて平氏に戦いをいどみます。 「石橋山の戦い」ですね。 で、あっけなくこの戦いに敗れた頼朝は、 カッコ悪く逃げることになります。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 当時、「戦いで負ける」ことはカッコ悪い、 とされていた時代だったねん。 でも頼朝は木のうろ(穴)に隠れて敵をやり過ごしたあと、 なりふりかまわず逃げて、 それでも頼朝についてくる武士たちと協力して、 最終的には平氏を倒し、鎌倉幕府を開くことになるんや。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 大負けした頼朝、どんな負け方をしてもついてくる武士、 そして最終的に勝つ・・・・・・ まるで平成15年優勝した阪神と、 タイガースファンの関係のようですな。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 全然ちゃうわい!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| つまり頼朝さんは「いずれ鎌倉幕府をつくる」という目標のために、 「逃げ」たんですね? |
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| りょうこ | |||||
| 厳密には「鎌倉幕府をつくる」というより、 「武士のための政権をつくる」という意識だったと思いますけどね。 まあ、そんな細かいことはいいとして、 次は織田信長です。 信長の場合は、危機がせまったとき、 仲間や部下を全部置き去りにして、一人で逃げた、 というものです。 こういう逃げ方は、凡人にはなかなかできませんね。 さすが信長、という感じですね。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 信長やからこういう逃げ方も許されるような感じするけど、 これがワイや校長やったら、 ただの「ヒキョウ者」で終わってたやろね。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| ワシだったら、「置き去りにして」逃げたりなんかしませんゾイ。 | |||||
| 伊塚光五郎 | |||||
| ホンマかいな? | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 逃げ遅れた仲間の貴重品をあずかって、 金目のものだけを目一杯持ってから逃げるでしょうな。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 金目のものだけ持って仲間は置き去りかい!? そんならまだすべて置き去りにして逃げるほうがましやがな!! |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 逃げた二ヵ月後には態勢をたてなおしたんですか? すごいですね、信長さん。 |
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| りょうこ | |||||
| 頼朝もそうでしたが、 信長にも「武士がついてきてくれる目標」があったんですね。 頼朝には「武士のための政権をつくる」という目標が、 信長には「武力で天下を統一し、平和な世をつくる」という目標が。 |
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| ひのもとあや | |||||
| こん時ドンケツに置き去りにされた 豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)なんぞは、 この二ヵ月後の攻撃に積極的に参加して手柄をたてとんねん。 信長の目標を誰よりも理解しとった秀吉やからこそ、 信長が逃げた事情も自分がドンケツに置き去りにされた事情も、 ようわかっとったんやろね。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 最後は坂本龍馬です。 この人は何度もピンチに会い、その都度逃げまくってたんですが、 京都伏見の寺田屋で、大人数に囲まれてしまうという、 生涯最大のピンチに会います。 この時一緒に囲まれた三吉という人は、 龍馬に「もうダメだ」と弱音をはくんですが、 龍馬は最後まであきらめず、 奇跡的に寺田屋から逃げることができ、 のちに大政奉還や五箇条のご誓文のアイデアを出し、 明治維新に貢献することになります。 |
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| ひのもとあや | |||||
| 龍馬は剣の達人やったから、 その気になれば何人かは切り殺すことができた、思うねん。 せやけど、それをやっとったら、 龍馬はおそらく寺田屋で死んどったろうね。 とにかくあきらめずにメチャクチャ逃げたおかげで、 命だけは助かって、そののちも活躍できた、いうこっちゃ。 |
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| 赤字屋サバ | |||||
| 龍馬さんの目標はなんだったんですか? | |||||
| りょうこ | |||||
| 封建制度をブチ壊して、 新しい日本を作ることですね。 龍馬自身の言葉で言えば、 「日本を洗濯する」ということです。 |
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| ひのもとあや | |||||
| そりゃ大変! そんな大きいものが洗える洗濯機なんてありませんゾイ。 |
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| 伊塚光五郎 | |||||
| 本当に洗濯するわけないやろ!! | |||||
| 赤字屋サバ | |||||
| 以上、逃げて成功した人、四人だけを紹介しましたが、 歴史上にはまだまだ「逃げの美学」を実行した人は、 いっぱいいると思います。 みなさんもピンチにおちいった時、 この人たちの生き方を参考にしてくださいね。 |
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| ひのもとあや | |||||
今回の結論 イヤなことから逃げることは簡単ですが、 それをしてしまったらその人の人生はそこでストップしてしまいます。 大きな目標を持って、現在の危機を乗り切るために逃げる・・・・・・ それを「逃げの美学」と言うんですね。 ただし勘違いしてもらっては困りますが、 「逃げの美学」を追求する前には必ず、 「立ち向かえるものなら逃げずに立ち向かう」ことをしなくてはいけない、 立ち向かえなくなった時に初めて逃げる、 という大前提があるのです。 立ち向かえるか、立ち向かえないないか、の判断が一瞬にしてできたのが、 桂小五郎であり、織田信長でした。 二人とも、逃げた相手にはもう一度立ち向かい、最終的に勝っています。 こういった人たちに私は、「逃げの達人」の称号を与えたいと思います(笑)。 |
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