大坂冬の陣・夏の陣終わって徳川家康敵なし!


この人ほど評価の分かれる人はいないと思います。
徳川家康さんです。
りょうこ
わしが徳川家康である。
「人生とは重き荷物を背負って坂道を登るようなもの。
忙ぐべからず」
徳川家康
家康さんといえば徳川幕府をはじめた人として有名ですが、
これはどういう意味があったんですか?
りょうこ
それはもちろん、
この乱れきった戦国の世を治めるためである。
「勝ってカブトの緒をしめよ」
徳川家康
なんかやたら説教くさいことばが語尾につきますね。
ところで家康さんが幕府をはじめた時、
まだ秀吉さんの息子は生きていたんですよね?
りょうこ
その通り。
でも豊臣の息子には、
この世を平和にしていく実力はない

だからわしが立ち上がったんである。
「犬も歩けば棒にあたる」
徳川家康
格好いい事言っても、
関ヶ原の戦い」のあと、
豊臣家から権力をうばったのは事実でしょ?
りょうこ
実力ある者が権力者になる。
秀吉だってそのやり方で、
織田家から権力をうばった
ではないか。
わしはそのやり方をまねしただけである。
「人を呪わば穴二つ」
徳川家康
それで豊臣家は納得したんですか?
りょうこ
いや。わしがせっかく、
「徳川家の大名にしてやるから大坂城を明け渡せ
と言ってやったのに、ヤツらはこばみおった。
「出る杭は打たれる」
徳川家康
そんな言い方じゃ、
豊臣家の人達が納得する訳ないでしょ。
だってもともと家康さんは豊臣家の大名だったんだもの。
りょうこ
は・は・は。
そんな言い訳は秀吉が生きておった時なら通用するが、
秀吉が死んだ上、関ヶ原の戦いで負けた豊臣家では、
何を言ってもわしが言う事を聞く訳がなかろう。
「負け犬の遠吠え」
徳川家康
家康さんって人情のかけらもないんですね。
悪がしこい人!!
りょうこ
何を言っとる。
人情があるからこそ、
「大坂城さえ出ていけば、豊臣家を大名として残してやる」
という処置を取ろうとしたんじゃ。しかしヤツらはこばんだ
こうなったら豊臣と徳川が対決するしかなかろう。
「井の中の蛙、大海を知らず」
徳川家康
それで大坂冬の陣、夏の陣が始まるわけですね?
りょうこ
そうじゃ。
わしはまず豊臣にケンカをふっかける口実として、
寺の鐘に目をつけた。
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」
徳川家康
寺の鐘?
それはどういう事ですか?
りょうこ
豊臣のヤツらが、
秀吉の作った寺(方広寺)に鐘を寄付したんじゃ。
その鐘に「国家安康・君臣豊楽」と書いてあったので、
これにイチャモンをつけたんじゃ。
「針小棒大」
徳川家康
?どういうイチャモンなのか、
全然わからないんですけど?
りょうこ
「国家安康」は「家」と「康」の間に字を入れて、
「家康」の字を真っ二つに切っとる。
「君臣豊楽」は「豊臣」の字がひっくり返って「臣豊」になっとる。
これは家康を切って、
徳川の世を豊臣の世にひっくり返すという意味だ、
というイチャモンじゃ!
「火のない所に煙をたてる」
徳川家康
ひえー!なんてゴーインなイチャモン!!
たったそれだけの事で豊臣家にケンカをしかけたんですか!
りょうこ
そうじゃ。
ケンカの口実なんか何でもいい。
とにかくわしは豊臣さえほろぼせばそれでよかったのよ。
「狐と狸のばかし合い」
徳川家康
それでどうなったんですか?
りょうこ
豊臣のヤツら怒って戦いの準備を始めおった。
わしはすかさず大坂城に攻めていってヤツらをたたいてやった。
これが大坂冬の陣じゃ。
この戦いのあと、わしは大坂城の堀を全部埋めて
次の戦いにそなえたんじゃ。
「獅子はウサギを取るのにも全力をつくす」
徳川家康
次の戦いって・・・・これで豊臣さんもこりたんでしょ?
これ以上まだいじめようと計画をたててたんですか?
りょうこ
あたり前じゃ!!
ここまでわしにさからったからには、
秀吉の息子を殺すまでやめるわけにはいかん。
だからわしは次の年の夏にまた大坂城をせめた。
これが大坂夏の陣じゃ。
「くさいにおいはモトから断たなきゃダメ!」
徳川家康
この夏の陣で秀吉さんの息子と豊臣家の人たちは
ほろんでしまうんですよね。
そして徳川時代が270年近く続く・・・・
りょうこ
そうじゃ。
平和のために、あえてわしは悪人になったんじゃ。
あのまま豊臣家を大坂城に残しておいたら、
また戦乱の世になっておった
のは間違いないからの。
「小を捨てて大を生かす」
徳川家康
家康さんってただの悪ダヌキかと思ったっら、
けっこう立派な事を考えた悪ダヌキなんですね。
りょうこ
どーゆーこっちゃ!?
まあいい。最後に一言。
日光を見ないでけっこうと言うなかれ」
注・・・・・日光は徳川家康のお墓がある所である。
徳川家康

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